※内容は、2019年2月時点のものです。
できる。
身近な家族の病状から、病気で困る人を救いたいと考えるようになった松本さん。
決意をした時、今から専門家になるには大人になっていた彼は、医療が少しでも進むような世界を創る道を選びました。
いま
– 今なさっていることについて教えてください。
2017年6月に研究支援事業を行うInner Resourceという会社を創業しました。
[ 株式会社Inner Resource ]研究者が研究に没頭できる世界を創り出す、というビジョンを持っています。
第一弾として、2018年9月に「reprua」というサービスをリリースしました。
これは、圧倒的無駄をなくすための、クラウド購買・在庫管理システムです。
僕は実は、商社出身で。
研究者に研究商材を卸す仕事をしていたので、このプロセスにどれほど無駄があったかを見てきていて。
研究費は国からの補助金を基に予算を組むことがあるので、エビデンスとして発注書を取っておくだとか、アナログな体制が多く残っています。
しかも人が足りなくて、事務作業まで研究員がやっていたりする。
そうすると、研究員は研究になかなか没頭できないですよね。
一方で、業界に最適化されたSaaSを作ろうとする動きは過去にもあったのですが、費用が高額だったり、研究者には使いづらかったりして、普及してこなかった。
だから、僕らは、使いやすい、安い、研究促進がテーマです。
– ご自身が現場をご存知な分、UI/UXがなじみやすそうですね。
実際、多くの研究者や研究機関が購買管理・監査対応に苦しんでいて。
それでも、最後、紙に落とすとしても、ラストワンマイルまではオンライン完結できる世界じゃないですか。
– 私は以前金融機関にいたのですが、同じような状態でした。
現在の主な顧客はバイオベンチャーですが、研究機関は全て支援していきたいと思っており、大学であったり、食品業界や医療の臨床研究所などにも幅を広げられたら、と。
– 実際の利用効果というのはどれくらいあるのでしょうか。
ユーザーヒアリングベースですが、業務の手間が半分以下になったという話はよく頂きます。
なおかつ研究者・研究企業のユーザーは無料で使えるのでそこは喜んでもらえますね。
– サブスク以外の収益モデルは展望されてらっしゃる?
はい、データを用いたマーケティング、研究者・企業マッチング、予算獲得支援などもできると思っております。
– reprua、かわいいお名前ですね。
ありがとうございます!
でもかわいいだけではありません。
これはアブハジア共和国にある世界で一番小さい川の名前。
そこに流れているのは世界で最も深い洞窟に流れていた地下河の水で、リプルア川を経て、やがて大きな黒海に到達する。
この一連の流れのように、探求を突き詰め研究されたものが当社のシステムを経て、大きな成果として広く普及してほしい。そういう願いを込めました。
また、「プルア」は船首という意味です。
日本の研究業界は、今お金も時間も足りないと言われている。
そこを切り開いていくという意味も、もたせています。
– 素敵ですね。実際、起業されてみていかがですか?
そうですね、構造変革にはやはり時間はかかるのかなと。
ロビイングが必要という肌感はあります。
一方で、研究者の方々からはやはり、とても喜んでいただいています。
AmazonなどECでできるのでは?って思う方もいらっしゃると思いますが、実は、簡単なECと配送では、医薬研究系の資材は取り扱いが難しくて。
保管温度や持ち運び要件…これを満たして購買履歴管理まで行うというのは、既存のECだと困難なのです。
そこは現商社の強みで、研究促進のために研究者の相談や情報提供をおこなっているので、その良さを十二分に発揮できるシステムにしています。
– どうして、この事業を始めようと思われたのですか。
僕が26歳の時、家族が難病指定を受けました。
当時の病院側の判定が、原因不明・解決策不明というものだったので、驚いたし、とにかく立ちすくんだ。
苦しんだ先に、”わからない”を解決したいと思った。
でも、今から僕が研究者になることは現実的ではない。
だったら徹底的に研究者の支援をしたらいいのではないかと思ったんですね。
– そう思える人はなかなか少ないでしょうに、決意がご立派ですね…
とはいえ僕は当時、保険の営業マンでした。
医療のリテラシーもなかったですし、まずは業界を知ろうと、バリューチェーンを俯瞰できる商社に転職した。
ただ、入社し、研究業界に飛び込んで感じたことは、良い部分もあれば、改善すべき部分も非常に多いなということ。
業界全体としては、研究者も資金も不足していて、雑務に時間を取られて研究に没頭できていない。
なかなか一般からはペインが見えにくい場所で、テクノロジーの力で解決できるものが多いのではないかと。
こういう状態なら、僕が変えたいと思い、そのまま起業しました。
– ご自身にペインもあり、一回中に入って実態をわかっている分、情熱が続きそうです。
これまで
– 子供時代、学生時代。
子供時代ですか…(笑)
ちょっと話は逸れますが、僕、今この事業をやっているのは、運命だと思っていて。
実は、子供の頃から、病気という存在が身近にあった。
ガン家系、母の心臓病、父の難病など。
その解決になにかできないかと思う性質があったのだと思います。
なんて、どこか、美談っぽいかな(笑)
勉強はあまり好きではなかったなぁ。
男三人兄弟の末っ子で、兄が割とぐれちゃっている方で…僕はそうならないぞと思っていたから、それなりに良い点は取ろうとしていましたけどね。
ただ、どこか根拠のない自信のようなものが昔からあり、ちょっと本気を出せば、なんとかなるというところがあって。
だから、勉強も一夜漬けでも結構なんとかなっていました。
– 地頭が良いのでしょうね。習い事とかはしていなかったのですか?
柔道、習字、そろばん…
やりたい!と言ったものを色々させてもらっていました。
結構さぼっちゃってましたけどね(笑)
あ、ちなみに柔道は個人的にはおススメしないかな。
僕は男兄弟の中でも、ダントツ座高が高い。
これはきっと柔道で足ばかり鍛えてしまった影響だと思っています(笑)
– 覚えておきます(笑) ちなみに部活は?
中学は野球、高校はラグビー。
運動、大好きでした。
ラグビーはやっててよかったと思います!
なぜか?実は、経営者ってラグビー経験者が意外と多いんですよ!
– えぇっ!?そうなんですか!?
はい、橋下元府知事とかもそうですね。
ラグビーやってましたという一言だけで通じるものがある(笑)
仲間も守る、恐怖心と戦う…
そういったところで、メンタルも養われますしね。
ただ、ケガは付き物なので、それは覚悟する必要がある。
僕は現役時代に肩を脱臼してしまいそれが癖になってしまったので、いまだに脱臼癖に悩んでいます…
– 痛そう…学生時代、楽しかったですか?
兄貴がグレていた分、僕はそれなりに真面目にはやってたんですが…
ただ、ある程度本気出せば巻き返せていたから、割と部活に没頭していましたね。
– 夢はありました?
父親が、三男坊の僕をかなり可愛がってくれていて、将来困らないように、「お前は医者になるんだぞ〜」と言っていたんですね(笑)
これが押し付けだと嫌がっていたのかもしれませんが、そういうわけでもなかったので、僕自身もナチュラルに医師になると思っていて(笑)
– お父様の刷り込みが成功してらっしゃる(笑)
ただ、医学系の試験がそんなに得意ではなかった。
ちょっと一発合格は無理だなと思って浪人したいと親に言ったら、じゃあ弁護士でどう?と言われて。
– 系統がだいぶ違うような…(苦笑)
父も、医師になってほしいというより、理系のトップは医師、文系のトップは弁護士と思っていただけらしいんですよ(笑)
僕も、まぁいいかとコース転換した。
– ご自分がなりたかったものがあるわけでは、ないのですね。
そうですね、ただ一つ決めていたことがあって。
それは家族を支えるとても大きな大黒柱になるということ。
– なぜですか?
きっと、僕が三男坊だったからですね。
すごく大事にされていたけれど、いつもお下がりの服を着ていたということに対して、当時コンプレックスがあったんです。
家もすっごくボロかったですしね。
金持ちの家の友人がいいブランドの服を着ていて、俺もあれが着たい!と思ったものです。
負けたくないと思った。
まぁ、そんな体験があったので、僕は大人になったら、自分の子供には、本人の好きなものを与えられるようになっていたいと思っていた。
贅沢な話なんですけどね。
父も不動産の事業家だった。
地元で出資も受けずに事業を回していて、今となってみると本当にすごいなと思う一方で、子供の頃はそれがわからなかったんですね。
– 大人になったからこそ、両親の思っていたことがわかるということはありますよね。
価値観
– 今、一番情熱をささげられるものは。
もう、この事業ですね!
根拠のない自信と、運があるという確証があるのでもうやるしかないです(笑)
– 私もなんとなく、根拠のない自信と運がある自覚があるんですが(笑)、どうやって醸成されるのでしょうね、このマインドセットって…
本当ですか(笑)
うーん…ちょっとした成功体験の積み重ねなのかなぁ。
自分はやればできる子なのだ、というのが幼少期にあると、備わりそう(笑)
僕の成功体験は中学時代ですね。
僕は全然勉強をしてこなかった。
高校進学に直結する最後の実力テストで500点満点中200点っていうくらい酷かったです。
それでも、なんか自信があって、近所の進学高に行きますと進路面談で、宣言した。
そうすると、先生は、もっと低い偏差値の遠い高校とか、滑り止め用の私立を勧めてくるわけです。
その進学校は500満点中450点取らないと受からないから無理だと。
なめられてんなと思って、本気出して(笑)
夏に塾に行って猛勉強して、勉強も好きになった。
多分、やればやった分だけ成績が伸びるからたのしかったんだろうな。
結果的にその進学校には行くことができて、見返せたという体験が自信の根源になったと思います。
あとは、得意不得意をきちんと認識できていることも影響しそうな気がします。
例えば、僕は細かい物事をきっちりやるということより、可愛がられるという方が得意、みたいな自覚があって。
そういうことがわかっていると、何か困ることがあっても、僕は自分の得意なことでなんとかすれば良い、という自信がもてる。
– なんとなくわかりますねぇ。運の方はどうなのでしょうね。
僕は人脈に恵まれていて。
当初自分でプログラミングまでしようと思って、Tech Campに通っていたのですが…。
全然向いてなくて、好きになれなかった。
その時、だったら仲間を集めようと思って。
yentaを始めて最初にマッチングした人が今のCTO(笑)
– ビギナーズラックの集大成みたいな(笑)
まぁ、今はそれで苦しんでるんですけどね(笑)
資金もなくなってやばい!となった時には、引き寄せられるように佐俣アンリさんに辿り着いて。
今、こうやって資金を入れていただいているし、すごく支援もしてもらえている。
anri担当の鮫島さんには色々ご指摘も頂きつつ、楽しくやらせてもらっています。
– 行動力が全てを引き起こしているのかもしれないですね。ちなみにプライベートのほうはいかがですか?
趣味とかは全然ないんですよね…
もう、この事業のことと、家族のことを考えています。
事業に没頭できる時間もこの先限られてくるので、今頑張っておかねばという気持ちもありますね。
– 目指す家庭像はありますか。
明るく楽しく…
プチ贅沢できるような環境は整えていてあげたいですね。
自分がそういう体験をそんなにしていないからなんだろうなぁ。
家族には好きなことをして過ごして貰いたいと思う。
これから
– いま、5億円もらったらどうしますか。
えっ全然足りない!(笑)
– まぁ、事業だとそうですよね…(笑)
お金の心配がなくなったらどうするかということですよね。
僕がやるべきことは、この活動を誰かに継承することだと思っていて。
僕がなにもしなくても、これが回っていく世界が、目指すものだから。
一方で、現実的には、家庭に時間やお金を注ぎたい。
物欲は特にないですね。
– 今年、やりたいことはありますか。
もはや、やらないといけないことなんですが…(苦笑)
KPIの達成ですね。
– もし全てが解消したら…なにをしたいと思いますか。
…世界一周…ですね。
やっぱり知らないことを知りたい、見たい。
僕はそういう欲求が強い。
– Polarisでインタビューさせていただくと、こういうご回答をされる方は多いですね。
きっと、これが終わっても、僕はまた事業を作るんだと思います。
– これからの日本はどうなると思いますか。
僕は猪突猛進タイプなので、目の前のことをやりきりたいと思っていて。
だから日本がどうという括りではなくて、それがどこであろうが、病気に苦しまない世界をとにかく作ることが命題だと思っている。
インタビューなどに答える時、自分で何度も言うことで、暗示がかかっている部分もあると思うのですけどね(笑)
– 可愛がられている分、ご両親は心配されているのではないかなと思いますが、起業についてはどうおっしゃってますか?
心配しているんじゃないかなぁ。
すごく愛されていますよ。週に一回は電話もありますし。
– 仲良しですね〜(笑)
実は、母は小さいころから心臓病で、彼女を助けたいという気持ちもあった。
親戚がガンで結構亡くなっていますし。
父も潰瘍性大腸炎という難病を患っています。
病気が身近にあるからこそ、救いたいという気持ちは僕はとても強い。
これからもその情熱を絶やさないようにやっていければと思います。
– 命を燃やして生きられることは幸せだなと、私も最近実感します。一緒に素敵な世界を作りましょう!ありがとうございました。
終えてみて
松本さん
インタビューは何度か受けたことがあるのですが、幼少期の話をすることというのはあまりないので、すごく新鮮でした!
特に習い事の話とか(笑)
僕の想いが届いて、世界が変わっていけばと思っています。
ありがとうございました!
Nocchi
記事に起こすと真面目な感じになりますが、とても明るく面白くお話くださる方でした(笑)
取材中も爆笑でしたね…
一方で、その裏に事情と使命があり、それに絶望もせず、傍観もせず、自らが世界を変えようというその姿勢がとても素敵です。
またお役に立てることがあれば嬉しいです!
Profile
松本 剛弥 / Takaya Matsumoto
1986年生まれ、長崎県出身。Inner Resource創業者。
保険の営業をしていたが、家族の病気がきっかけで医療業界への貢献を考え始める。
商社に転職し業界を知るも、課題を多く感じ、自身での起業を決意する。
研究者が研究に没頭できる世界を、をビジョンに、研究者を助けるサービスを手がける。