Vol.34 – 佐々木 亮輔 / 事業で挫折を知った僕は、”ドリーム・マネジメント”を広めることにした

※内容は2019年3月時点のものです

ライフコーチング・プログラムである「ドリームマネジメント」で事業責任者をしている佐々木さん。
個人が独自の夢を追うことが、全体の最適化に繋がるというこのメソッド。
経営に携わっていた彼は、このメソッドにどう共感し、今後どう世界を変えたいと思っているのでしょうか。

誰にでもできることを、誰よりも永く続ける。

いま


– いまやってらっしゃることを教えてください。

アメリカで開発されたライフコーチング・プログラム、ドリームマネジメントを日本で広めるということをしています。
もともと「ザ・ドリーム・マネジャー」という本がありまして、この本に基づいてつくられた人材育成、組織開発プログラムが「ドリームマネジメント」です。

社員が夢を持つことで、社員が前向きになり会社、組織が良くなるというプログラムです。

[ ドリーム・マネジメント ]

– これに取り組もうと思われたきっかけは…

元々は美容業界のIT事業の仕事をしていて…
2社程、上場企業から出資を受けて会社経営をしていたのですが、2社目の会社の経営がうまくいかず、最終的には会社を吸収合併されることになりました。
経営者と成功するという夢がなくなり、他にも夢を持つことができなくなり、自信を持つこともできなくなりました。
その時に「ザ・ドリーム・マネジャー」という本に出会いました。

自分が経営していた会社が吸収合併されて夢も自信もなくなり、とても落ち込んだ時期に読んだ本で、「人は夢を持つことによって、人生を前向きに生きることが出来る」という考えのもと、「社員に夢を持たせ、社内で夢を語り合う文化をつくる」ということが書かれていました。
僕自身も挫折から立ち直らせてくれましたし、理想の組織をイメージさせてくれた一冊でした。

– 他にも同じようなメソッドがあったかと思いますが、その中でもこれに惹かれたのはなぜなのでしょう。

「夢に大きい小さいもない、人それぞれの価値観で、人それぞれの夢がある」という考え方にすごく感銘を受けました。
それまでは夢は大きいものでないといけないと思っていたので。
「夢=やりたいこと」でいい、まずは自分の夢、やりたいことを書き出し、その夢を社員同士で語り合い、応援し合うことによって、最高の組織が生まれるという考え方にも衝撃を受けました。会社内で夢を語り合うなんて、今まで想像もしたことがなかったので。

僕自身も夢を書き出して、ランニングを始めたり、日々の小さい夢を叶えたりして、すごく充足感を覚えることができました。
他人の評価軸という価値観から、自分を解放できたのだと思います。

– 実際にどういった活動をされてらっしゃるのですか?

僕自身がファシリテーターとして、企業に入りドリームマネジメントのセッションを行ったり、ドリームマネジメントを一緒に広めていく認定ファシリテーター、社内ファシリテーターの育成をしています。

– あら。磯村さんは、ドリーム・マネジメントではありませんが、認定ファシリテーターをされていますよ。

おお、これは面白そう…
ファシリテーションという能力は経営者やリーダーにとっても大事なスキルだと思います。

[ Vol.28 – 磯村 幸太 / 4足わらじのファシリテーターが目指す”皆が毎日ワクワク働く”世界 ]

– ふむ、今度お引き合わせしますね。ファシリテーションの良さはどこにあると思われますか。

専門家によって言うことは違いますけれども、「自分で考えて、自分で答えを出させる」と言うことですね。
講師が教える「ティーチング」ではないこと。
答えは本人が持っているはずで、それを引き出してあげるのが僕らの役目だと思います。

– 本来、義務教育の学校の先生が、このスキルを持って授業をすると、とても良さそうですけどねぇ。

そうですね。
あるアメリカの映画を観ていた時に、学校の先生が生徒の意見を引き出していく授業をするシーンがありました。
先生が答えを教えるのではなく、生徒自身に考えさせるような感じです。

– アメリカでは、先生に、授業のやり方に裁量権があるのかもしれませんね。

あとは、日本の教育における問題点を上げるのならば、受験制度なのかもしれませんね。
受験戦争で勝つには、答えを教えないといけないですから。

– 受験戦争という文化はどう生まれて、浸透したのでしょうね。

うーん、大卒、大手就職神話の影響は大きそうですよね。
高度成長期も過ぎ、バブル経済も崩壊したのに、未だに大卒でないと取らないという企業もたくさんありますからね…。

– 変わると良いですよね。ドリーム・マネジメントのファシリテーションを始められてみていかがですか。

ドリームマネジメントはアメリカで開発された人材育成、組織開発プログラムですが、本場のアメリカだと、各テーマに対してディスカッションしていきます。
最初はそのスキームでやっていたのですが、日本で同じように行うとどうしても沈黙してしまいます。

日本だと積極的に発言や意見を言う場があまりないのかと。
一度、自分の考えを整理したから発言したいというのもありますし、恥ずかしくて言い出せないというのもあるようです。
なので、途中からテキストに書いてもらって、それを発表しあってもらう形に変えました。

– うーん、問題だなぁ…価値観がない、発言に慣れていない…

自分の話をすることに抵抗がある人がすごく多い。

– 私はこれ、減点主義に原因があるような気がしていて。

たしかに、そうですね。
否定されるくらいなら黙っている方が良いというマインドですよね。
加点方式にいろんなものが変わった方が良いでしょうね。

– そうですよね。ドリーム・マネジメントのプログラムはどのように行われるのですか?

毎月1回、年12回のワークショップになっています。
夢を出して語り合ったり、夢の進捗をシェアする他、お金、時間管理、健康状態、人間関係、知性、精神などのテーマのセッションがあり、各テーマにおいて理想と現状を知り、何を習慣していくかを考えます。

セッションを通じて人が変わっていくのを見ると、とても嬉しくて…

他人のことを受け入れることができた。
応援できるようになったり。

面白いことに、セッション中にお互いを否定したり、水掛け論には、ならないんですよ。

夢などプラスなことしか語り合わないので、自然とお互いを受け入れる場の雰囲気が出来るんです。
否定されない環境で、安心して、プラスの話だけを出して、お互いを好きになっていく。
ドリームマネジメントにはそんな効果があります。

– 「タニモク」にも通ずるものがありますね。

ほぅ、こういうワークショップがあるのですね。
そうそう、否定が出ないことは大事ですね。
あとは他人が違う人間で、違う価値観を持っていることを理解できるのでしょう。

[ Vol. 26 – 三石原士 / 「タニモク」仕掛け人が展望する”これからの働き方” ]

– 元々、変わろうと思っていなければ、「タニモク」やドリームマネジメントにきっと、たどり着くことはなくて…

そうですね。
こういう機会にたどり着くということは、少しでも変わりたいという願望があるかと思います。
ドリームマネジメントを受講した人達が少しでも、充実度の高い人生を送れるようになれれば良いと、そう思いますよね。

– ファシリテータ―になる人は、きっとその原体験がありながら自己管理ができるようになって…自分は変われたから、他の人にも同じ景色をみてもらいたいと思う人間かもしれませんね。

そうかもしれませんね。
そして、自身の成功体験しか考えられないのではなく、本人の目線に立ってあげられることがとても大事ですね。
なので客観性が求められるポジションだと思います。

例えば、富士山に登りたいと言う人がいたとする。
これに、「すぐ登ればいいじゃん」と言う方がいて。
確かにそうなのですが、家族の反対があるだとか、健康に不安があるだとか、小さいかもしれませんが、戸惑う要因がいくつかあるから、迷っているわけです。

人によって色んなレベルやフェーズ、価値観がある上で、何年かかってもいいから、本人の夢や目標が叶えられるように応援してあげるという気持ちが大事かと。

小さな不安を口に出したらバカにされそうで、何にも言えなくなっていく…
そこを理解して、大丈夫だと寄り添うことが必要。
ドリームマネジメントでは、そのようなことの大切さを伝えています。

-子供時代に行なわれると、一番良さそうだけれど、そこを通過できずに大人になった人たちへ、またチャンスを渡すという仕事なのかもしれませんね…

これまで

– 子供時代、学生時代。

幼稚園は流石に覚えてないですが(笑)
僕はかなりの引っ込み思案だったみたいです。

小学校に入ってからは野球が好きで…
でも、恥ずかしくて、空き地でみんなが野球をしていても、仲間に入れてと声をかけられない。

学校から帰ってくると、毎日1人で壁に向かったボールを投げていました。
それも、わざわざ、みんなの近くで。
声をかけて欲しかったんです。
自分から言えなかったけれど。

そんな日々が3年くらい続きました。
ただ、壁に向かってボールを投げ続けていました…
母から、だったら少年野球チームに入ったらと言われました。

-それが続いたのもすごいなぁ…

野球チームに入るのは怖かったけれど、エースになれました。
3年間壁当てしていたからなのかな。
ここから自分が変わりましたね。

– 野球は元々お好きだったのですか?

父がグローブを買ってくれて…そこからですかね。
小学校でエースになって、中学に入ってからもちょっとひねくれていて(笑)

同級生と一緒に中学校の野球部に入るのが嫌で、硬球のシニアリーグのチームに入って、そこでもエースになって。
高校も県では強豪校に入って野球をしました。
ピッチャーで1年でベンチに入りましたが、その後肘を壊して、最後は打者として4番を打ってましたよ(笑)

– イチロー選手を彷彿とさせるところがありますね。

いやいや、レベルが全然違い過ぎるのでお恥ずかしい限りです。。
中学頃まではプロ野球選手になれると思ってもいましたが、プロになる人は化け物みたいな感じで、次第にレベルの違いを感じてきました。

– 勉強や趣味などはいかがでした?

中学までは成績はクラスで上位5番には入っていましたよ。
でも、高校で野球部に入ってから毎日朝練があって、朝5時に起きて自転車で片道1時間かけて通うようになり、夜は遅くまで練習をしていたら授業中は眠くて、寝てばかりでした。

成績はどんどん下がっていき、あっという間にクラスでビリの方になってしまいました。
成績が悪いのと、授業態度が悪いのもあって、何度か親が高校に呼ばれたりしました(笑)
野球をしていたからというのは完全な言い訳ですが…
本来、文武両道でなければいけないですからね。

– 大学は行かれたのですか?

いや、行っていなくて。というより行けなくて。
高校で全く勉強をしなかったので、大学に行く学力もなかったですし。
高校を卒業して、野球を辞めてからやりたいことがなくなりました。

– 本園さんや大須賀さんのお話を思い出します…

[ Vol.18 – 本園 大介 / 3.11震災で命に向き合い、僕はグラレコ講師になった ] [ Vol.30 – 大須賀芳宏 / 柏の葉街づくりの仕事を通して、僕がKOILのコミュニティ・マネージャーになるまで ]

今、夢を持ちましょう!とか言っていますが、夢とかやりたいことを見つけるって簡単なことではないですよね。

初めて入った会社が、商品先物の営業でした。
怒号が飛び交うオフィスで、管理職が成績の悪い部下の頭を掴んで窓際に連れていき、ここから飛び降りて死ね!みたいなことが冗談ではなく当たり前のように行われてました。

お客様に対しても、帝国データバンクのデータを元に片っ端から電話を掛けて、アポイントを取ったら翌朝一番にお客さんに電話を掛けて、「私に任せてください!私を男にしてください!」とか大声で叫ぶ超プッシュ営業スタイルです。
ほとんどのお客さんが途中で電話を切りますが、それでもダメならお客さんの家の前で張り込んだりして、朝まで張り込めと言われたこともありました。
迷惑以外に何者でもない(笑)

-なかなかの…

結局その仕事は1年でやめて、その後は30歳まで職を転々としました。
6社くらい、かな…バブル崩壊で潰れた会社もありました。
休暇とか給料が1、2万高いとか、そんな判断基準で転職を繰り返していました。

29歳の時にIT業界に入り、そこからしばらくIT業界にいました。
当時やっとISDNが出てきた頃ですよ。
若い子にはわかんないんじゃないかな、インターネットの黎明期です。
完全新規営業でしたが、配属初月で150人の営業マンがいる中、4位になって、2か月目には2位と営業成績も良くて、なんとなくだけどIT業界でやっていけるかなと思って。
その会社も入社して1年未満でつぶれてしまいましたが。

そのあと、2000年頃に美容室検索サイト「Beauty Navi」を運営する会社に入りました。

[ Beauty Navi ]

– うわぁ、懐かしいです!Beauty Naviのカットモデルで髪を切ってもらっていました。

そうでしたか!
当時はその「Beauty Navi」がNO.1の美容室検索サイトで、まだリクルートのホットペッパービューティーもなかったですからね。
美容業界に関わっている方に、Beauty Naviの責任者というだけで、結構すごいねとチヤホヤされたものです(笑)。

[ ホットペッパービューティー ]

その頃、村井さんという人に出会って。
君は経営者で成功する、だから沢山の本を読みなさい、と言われました。
僕は本を読むのが苦手だったので、すぐに速読教室に通い、それからは月に30冊くらいの本を読み漁りました。

当時、伊藤忠系の上場企業ExciteでWoman Exciteというのがあったのですが、アライアンスと出資の話しをまとめ、ビューティーナビ㈱を設立して、役員として事業全般を任せてもらうようになりました。

当時は勢いだけで、経営者のイロハを勉強する前に、そのような立場になってしまったのは反省しています。
株も所有していなかったですし、組織の役割、権限などもコントロールできす、自分が中心で設立した会社なのに、最後は居場所がなくなり、体中に蕁麻疹は出来るし、腎臓結石になるし、最終的には心身ともにボロボロになった状態で会社を辞めることになりました。
仕事を辞めたら、すぐに体は良くなりましたけれど(笑)

その後、もう自分が主導権を持てる会社を立ち上げようと思い、会社を設立しました。
美容業界向けのe-learning事業を始めました。
有名美容師さん、エステティシャン、ネイリストの技術を動画で学ぶサイトで、SAKURAビューティTVというサイトを立ち上げました。

[ SAKURAビューティTV公式ブログ ]

その時に出資して頂いた現在一部上場企業のビューティガレージ社の野村社長は、僕の今までの人生の中でも1.2番に入るくらいの恩人みたいな方です。

最終的には経営がうまくいかずビューティガレージ社に吸収合併して頂きましたが、野村さんは今でも僕のことを応援してくれる本当に素晴らしい方です。

[ Beauty Garage ] [ 野村社長への想いを書いたブログ ]

– 今はもう、ドリームマネジメントのファシリテーションだけをされているのですか?

ドリーム・マネジメントがメインです。
周囲の方からも、しばらくは「最近何をしているのか」「美容業界で事業はもうやらないのか」と言われましたけどね(笑)

– 美容関係の仕事をもう一度やりたいとは思われないですか?

人脈や知見もあるので、今でも出来るのでは?という思いもありますが、もう一度、美容業界でゼロから事業をするほどの気力があるかと言うと、そこまでは…

– ご自身のドリームは何なのでしょう。

自分自身でも沢山の夢を書き出しているのですが、プライベートでは、もう一度結婚をして、その人と生涯、究極の相思相愛の関係でいるのが夢です。

仕事での夢は、ドリームマネジメントを日本に広めて、「ドリームマネージャー」という役職を企業に定番化させることです。

ドリームマネジメントを通じて、本当に多くの人達の夢を聞く機会があるのですが、行きつくところは「幸せになりたい」という願望だと思います。
幸せな気持ちになるのはそんなに難しいことではないと思います。
夢とかやりたいことなど、プラスなことを思えば幸せな気持ちになれるのではないかと。

デール・カーネギーの本の中で、「自分は本当に幸せなのか?と考える暇を与えれば人は不幸になる」という言葉があります。
「ないもの」ばかりに目を向け自分は不幸なのか?と悩むくらいなら、自分の周りに「あるもの」に目を向けて幸せだと思った方が前向きになれるし、頑張れると思います。

本当は沢山ある「あるもの」を当たり前のように感じて、「ないもの」ばかりを考えてばかりいたら、不幸になるしかないですよね。

-なるほど。

ただ、これはその人自身だけの問題でない場合もあって。
ドリームマネジメントのセッションをしていて、自己肯定感が低い人、ネガティブな考えばばかりになってしまう人のバックグラウンドに、親からの否定され続けたという原体験がよくあります。

親から「ないもの」ばかりを指摘し続けられたことによって、自分の中で、ないもの、足りないものばかりに目が向いてしまうことがあります。

– 心理的安全性が担保されませんねぇ…

辛かったら、自分をあまりに否定する人には会わないようにはした方がいいかもしれないです。
そもそも会話が続く、肯定して会話できる人との交流を増やすのがいいかもしれませんね。

価値観


– 今、一番情熱を注いでいること。

ドリーム・マネジャーという役職を企業に定着させたいんです。
専任でも兼任でも良いのですが、企業でドリーム・マネージャーを名乗る人を増やしたい。
名刺の肩書きにして欲しい。

実際に、2,000人規模の会社の社長がドリーム・マネージメントを気に入って、3~5年かけて、ドリームマネジメントを企業文化に浸透させたいという要望があって、専用の課を作ったんです。
その課には「ドリームマネージャー」という名刺の肩書を持った方達がいます。

そのドリーム・マネジャーが、社内でドリーム・マネジメントのワークショップを毎月行います。

ワークショップ以外では1on1を行います。
夢の進捗の確認の他、身体、感情、知性、精神のスコアを定点観測します。

– JoinneyやYELLは近そうです。

[ Joinny ]

ドリーム・マネジメントでは、社員の夢を知ることに価値を見出しています。
互いを応援する環境を作ること自体が、心地よい働き方であると考えています。

– それは意味がありそうですね。管理職が、部下個人の興味関心や夢を聞かないところも少なくないので。

夢に対して出資するだとか具体的な支援策以前に、まずマインドが変わるのは本質かなと。
社員のスコア化もできるといいですけどね。

– イチローさんがいいモデルかなと。

ああいう方は珍しいのだと思う。
他人がどこまで頑張っていて、その対比何%かは関係ないという。
あれはすごいですよね。

– 素晴らしいですよね。あの自己管理能力を全体で引き上げていきたい。お気に入りのサービス、アプリ。

僕はデジタルより紙の方が好きなんですよね。
書かないと覚えられなくて。

– 確かに、ずいぶん厚い手帳をお持ちですね。

ビジネスではないのですが、ランニングアプリのRuntasticはよく使います。
走った距離の管理、Facebookへの簡単なアップロードができて。
アプリ内でも友人がいるのでモチベーション管理もできますし、これはランナーにはおすすめ。

[ Runtastic ]

Appleプリインストールのオーディオブック。
走りながら自己啓発系のオーディオを聞いています。
これもおすすめです。

[ オーディオブック ]

YouTubeで捕食の動画をよく見ます。
弱肉強食の世界では、弱者が簡単に食べられて死んでいく。
また、強者も弱者を食べていかなければ死が待っている。
野生動物の厳しさに比べたら、自分なんてまだまだ甘いと。

そんな動画を見ながら、自分の生き様や、小ささを改めて考えさせられます。
電車の中でみたりしていると、たまにギョッとされますけれどね(笑)

これから

– 今年やりたいこと。

まずはドリーム・マネジメント事業を1億円事業にすることですね。
プライベートだと、海抜0mから富士山に登頂すること。
あとは100Kmウォークに4回トライします。

-身体を結構重視されているのですね。

はい。あとは精神的な鍛練をしたいと思っています。
100Kmウォークや、毎月150Kmランも精神的なデトックスになれば良いと思っています。

最近はミニマリストになっていて、ものをどんどん無くしています。
今住んでいる部屋はほとんど何もないです。

– 今5億円もらったらどうしますか。

家と土地が欲しいかな…
マンションを売ってしまったのと、最近よく引っ越しているので…
そろそろ永住の土地が欲しい年齢なのかな(笑)

– 旅をするよりも、家が欲しいと思うんですね。

自分の場所があると安心しますからね。
あとは親を安心させてあげたいですね。

あとはやっぱりモテたいですね(笑)
これは、女性だけでなく、男性にも。

以前、こんなことを言った人がいて。
男って、惚れた女に愛されるために生きているよね。
なぜ、お金が欲しいか、体を鍛えるのか、ブランド物や高級車が欲しいか…
全て、惚れた女に振り向いて欲しいからじゃないの、って。

極論かもしれませんが、共感する部分はありました。

女性、男性問わず、人が集まってくる人間になりたいですね。
人からモテる人はやはり魅力的ですから。

– 好きな方に出会えるといいですね。ありがとうございました。

終えてみて

佐々木さん

色々引き出していただいて、書けないこと含めてたくさんお話しちゃいました…
仕事からプライベートまでとても棚卸しができました。
ドリーム・マネジメントをやるようになって、「自分らしくあれ」と言っていただいていて。
自分を開示させていただくいい機会になったと思いますし、これを機にドリーム・マネジメントも広まればいいなと思います。

Nocchi

yentaでお会いして、ドリーム・マネジメントという面白い切り口でお話くださった佐々木さん。
まさかこんなに恋愛の話が出るとは思いませんでした(笑)
誰しも自分のやりたいことがあって、それを叶えるために生きるというのはとても健全だと思いました!ぜひ広めていきましょう。

Profile

佐々木 亮輔 / Ryosuke Sasaki
一般財団法人日本アントレプレナー学会 理事
長年、美容業界向けのIT事業に携わり、上場企業の関連会社を2社設立し、それぞれ取締役、代表取締役に就任。
2014年、「ドリームマネジメント」の日本初の認定ファシリテーターとなる。
同年に日本で最初にドリームマネジメントのセッションを行い、現在まで延べ受講者数は4,000人を超える。

2016年に一般財団法人日本アントレプレナー学会の理事に就任。
ドリームマネジメント事業の日本の責任者となり、ドリームマネジメントのセッションを行いながら、50名以上ファシリテーターの育成を行う。