Vol.24 – 武田 隆史 / 子供の頃からの憧れを追いかけ、僕は未経験から宇宙業界への転職を決めた

※内容は、2019年2月時点のものです。

(できるだけ)まじめに、誠実に。

子供の頃、理系科目が好きだった武田さん。
途中で文転し、採用業界に就職するも、理系への憧れは途切れませんでした。
彼は転職を機に、思い切ってやりたかった宇宙業界での活躍を選びます。

いま

– 武田さんの今について教えてください。

日本の宇宙機関で、宇宙市場の拡大や宇宙利用の促進などをミッションにしています。
たとえば宇宙ビジネスコンテストや宇宙スタートアップと投資家のマッチング等に携わったりしています。

あとは、宇宙技術を民間ビジネスに転用する、いわゆるスピンオフの促進等なども。
例えるなら、ロケットに使う断熱材を、一般住宅に用いたりだとか。

– 面白いですね!

逆に民間企業の技術を宇宙に転用することもあります。
下町ロケットのような感じですね。

[ 池井戸潤 – 下町ロケット ]

– 何年くらいやってらっしゃるのですか?

僕は転職組でして、新卒から宇宙業界にいる訳ではありません。
転職してまだ2年弱くらいです。

– 転職のごきっかけは。

宇宙や科学技術への関心という点で動機を遡ると、小学生くらいになるのですが…
もともと、文系科目よりも、理科や数学の方が好きで。
でも高校で文系を選んでしまったこともあって、ちょっとしたモヤモヤはずっと残っていました。

– 私も似たような経験をしました。どこかでリベンジして本当にやりたい方へギアチェンジしたい、とは、思いますよね。

そうですね。
僕も、前職を辞める時に、自分が興味を持つ方に行こうと思いました。
その時は漠然と、最も興味があった人工知能か宇宙に関する業界に行こうと考えました。

– 前職はどういった業種だったのですか?

農林水産業界で人材ビジネスをやっているベンチャーでした。
創業10年未満の、20人弱くらいの規模感の会社です。

僕は関西出身で、大学も関西の大学を出たのですが、
就活で1社からも内定をもらえなくて、
どうしようかと思いながらも、なんとなく東京に出てきて。
とりあえず住むところがないからバックパッカーズで住み込みでクリーナーをしていたんですね。

– そういう働き方があるのですね!

そうなんですよ。
そんなことをしているときに、「知り合いのベンチャーでバイトしないか」と人から紹介されたのが、前職の会社です。
とりあえずバイトで転がり込んで、がむしゃらに目の前の仕事に打ち込んでいたのですが、結局そこで5年くらいそこで働きました。途中から社員になって、最後の方は役員もさせていただいていました。

– 結構、キャリアチェンジですよね。転職しようと思われたきっかけというのは?

役員になったことで、社長や他の役員に対等に意見を言う立場になりました。
その中で、いろいろと方向性の違いや考え方の違いが見えてきて、議論も重ねたのですが、結局、自分は社長ではないので、最終意思決定ができるわけではない。
最終的に納得できないのであれば、自分は別の道を選んだ方がいいのかなと思った次第です。

– わかります、私も独立しようと思ったきっかけは、自分のその気持ちに気づいたからですね。

そうですよね。
雇われる側であれば、それを仕事と割り切ってやるのも一つですが、役員になると、自分も経営者ですから、理念や方向性が違うのならば、道を違えてもいいのかなと。

– そうですね。今のお仕事は始められてみていかがですか。

面接の時に、前職とだいぶギャップがあるけれど大丈夫か?と何度も聞かれました(笑)
ただ、業界も、会社規模も、組織形態も、全く違うことは入社する前から明らかだったので、大きなカルチャーショックみたいなものは逆にあまりありませんでした。

実際問題、公的な組織のため制約等は多いなと感じることもありますが、そこに不満を持っても仕方がなく、その制約の中で何ができるか、とか、その制約そのものを変えるにはどうすればいいか、とか、考えるようにしています。
そういう、面倒な調整や泥臭い仕事をやるという役割も、地味ですがとても大切だと感じています。

そもそも宇宙業界に入りたかったので、どんな仕事をしていても、自分の関心に直結しているので、とても楽しいです。

これまで

– 子供時代、学生時代。

幼稚園・小学校くらいまでは、すごく活発でしたね。
学級委員長みたいなのをやっていたタイプ。
勉強も遊びも楽しくて何でもやっていました。

– 習い事などは?

幼稚園くらいの頃にスイミングに行っていました。
ただ、小さいころ溺れたことがあって、それがトラウマで、結果として残念ながら今も泳げません(笑)

あと、子供の頃から、工作が大好きでした。
ティッシュの空き箱とか、サランラップの芯とか、ガラクタを集めて秘密基地を作ったり。
そういえば小学校の時に、空き箱を組み合わせた竜の置物みたいなものを作って、表彰されたことがありました。唯一の表彰経験かもしれません。

– 3Dの扱いが得意そうですね。

そこからすんなり理系の道とかに進めていたらよかったんですけどね。。

地元が結構荒れているところで。中学時代とか、特に。

僕の両親は公務員なのですが、真面目な、おカタめな家庭環境の中で育ってきた中で、理不尽というか、不条理というか、中学で急にそんな環境に入ってしまい、その中でちょっとひねくれてしまって(笑)

当時はネットもなかったし、地元で見える世界がすべてで、ああ、世界ってこんなんなんだ、みたいな感じで、絶望してました。大人は大人で、尊敬できる大人とか、こんな風になりたいとか、ロールモデルみたいな人が周りに存在しませんでした。
もう、人生諦めるみたいな…(笑)

– おお、暗黒時代…

そのままずるずる地元の高校に入ったのですが、その後の進路などは、ほぼ考えていませんでした。部活はバスケをやっていたのですが、周りのみんなが文系に進んだ、という、とんでもなく安易な理由で、文系/理系選択で、文系を選んでしまいました。

– なりたい職業や夢なども特になかったのですかね。

はい、本当に、何もなかったんですよね。
親からは、手が器用なので歯科技師とかどう?みたいな勧めはあったと記憶してるんですが。
きっと、手に職、安定、みたいなことで、親心で勧めてくれていたのだと思いますけどね。

– 幸せで充実している大人のモデルがなかったとおっしゃってましたものね。

仕事で充実する、というイメージは湧きにくかったですね。
かっこいい大人、なりたい大人、が、自分にとっては周りにいませんでした。

– 転機はあったのでしょうか。

立ち直ったのは大学時代ですね。
高校はもう惰性で過ごしていました(笑)

高校の部活が終わった頃、大学受験があることに気づき(笑)
受験があることにも意識がいかないくらい、気力がなかったんです。

でも、そこで、大学をきっかけに地元から出られるかも、とふと思ったんですが、次の瞬間には、「外の世界に出たい!」と、痛烈に感じていました。大学はそのチャンスだと。

関西だと、関関同立という、わかりやすい指標があったんですね。
なんか、それくらいの大学に行けば、よくわからないけど、ほめられるらしいと。
(関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学)

同志社と立命館は京都にあるので、京都なら一人暮らしができる。地元から出られる、と。
で、その2校の全学部の中で、一番偏差値が低い、要は、入りやすいであろう学部を探し、そこを受けました。7回ほど。

– 7回!?

他の大学もそうなのかはわかりませんが、色々な受験方式があって、それらを全部使いました(笑)
幸運にも繰り上げで受かることができ、晴れて地元を脱出し、華の大学生となりました。

– よかったですね!大学生活はいかがでしたか。

楽しかったです。
さすがに大学生にもなってヤンキーみたいな人はいなかったですし(笑)、近しい価値観で話ができる人がたくさんいました。
ただ、楽しかった一方で、僕にとって大学時代は、中・高で失った社会性回復のためのリハビリ期間みたいな感覚もあって。
勉強をがっつりやっていたわけでもなかったんですよね。

– サークルなどは?

サークルは、とりあえずテニサー(テニスサークル)に入りました。
そもそも大学自体、入るまでは何をするところかよくわかっていなくて、
サークルと言われて、たぶんドラマか何かで見たことがあったんでしょう、
「テニサー」が、唯一イメージできたサークルだった、くらいの理由です。
とりあえずテニサーに入ったのですが、まぁ、なんとなくイメージつくかもしれませんが、僕のキャラにはあんまり合ってなかったですね(笑)

とはいえ、みんな仲良くしてくれたので、かなり幽霊部員ではありましたが、ちょいちょい練習とか、飲み会とかに参加させてもらっていました。

サークルはそんな調子でたまに行く感じでしたが、
他方で、学部の友達で、わりとバックグラウンドや価値観が近いような仲間が自然と集まって、そのメンバーでよくつるんでいました。
みんなでバイクを買って、長期の休みで日本半周くらいのツーリングに行ったりとか。

– もはやツーリングサークルですね(笑)

夜な夜な心霊スポットを回ったりもしてました(笑)

– バイトはされていなかったのですか?

一番長く働いたのはお寿司屋さんでした。
タウンワークの中で一番時給が高いところを選んだんですが、時給が高いのには理由があったんですよね(笑)

– え!?

とにかく仕事がハードで、すぐにバイトが辞めちゃうような感じでした。
たぶん結構歴史があって、地元の常連さんが多く来る、かなり渋いお店だったのですが、
板前さんとおかみさんが、職人気質で、とても厳しくて、、お客さんもキャラが濃いし、、(笑)

でも実は、高校までで失った(笑)コミュニケーションスキルを復活させたいという裏ミッションも含めて接客業を選んだという背景もあり、辞めずにやり通そうと思ったんですね。
人が足りないので、多いときは週6くらいで働いていましたね。

– フルコミットですね(笑)

ただ、そんなこんなで、バイクに乗っているか、バイトをしているか、みたいな生活のまま、3年生になってしまいまして。
その先の人生については考えがまとまらないまま就活時期に入ってしまいそうになったのですが、どうしよう、まだ就活したくないな、と(笑)

で、ほぼ現実逃避なのですが、海外にも行きたいなと思っていたので、
1年間休学して、カナダへワーキングホリデーに行くことにしました(笑)
親しい知人が先に行っていて、いろいろ話を聞かせてもらっていたのも大きいです。

– おお!カナダはいかがでしたか?

大学での環境変化と同じかそれ以上くらい、僕を変えた経験でした。
楽しかったし、いろんな人や文化に触れることができて、とにかく刺激的でしたね。
英語も日常会話程度はできるようになりましたし。
自分の視野を広げてくれた経験として、すごく影響が大きかった。

中高生で僕がつまづいたのは、すごく狭い世界の中で、すごく狭い視野で、世の中を見ていたこと、また、自分以外の価値観とうまく共生するという考えが持てなかったことが要因かな、と、いろいろ経験してきて、今はそう思います。
一度広い世界に出たことで、いろんな価値観に対して耐性ができたような気がします。

– 自分とディスカッションしてくれる共通言語の人や、自分の想定外の人に出会うことができると、人生がずいぶん豊かになりますよね。

価値観

– 今、一番情熱を注いでいることはなんですか。

本業とは別で起業できる制度が会社にあるんですが、その制度担当をしています。
その業務が、今一番やりがいがあります。新しいことにチャレンジする人たちの後押しができることは、うれしいことです。

また、僕も実は一度は起業したいと思っていたりもします。
それは、何かやりたいことがある、というよりは、一度自分が先頭に立って物事にトライしたい、という感じです。

前職では社長の右腕的なポジションにいたり、人生を通して、誰かの支援者、右腕、的な役割がハマることが多いんですが、自分がトップになった時にどうなるのだろう、という好奇心があって、やらないで後悔するより、どこかで一度やっておきたいなという感じです。

– やってみないとわからないですしね。ご自身が起業されるとして、興味関心のある分野はあるのですか?

僕はちょっと共感スキルが低くてですね(笑)
他人のペインからビジネスチャンスを導き出す、といったことができるイメージがあまりないんです。
だから、僕自身の仕事や生活の中で感じるペインを解決できるようなサービスやソリューションを、考えてみたいとは思います。そうなるとB2C傾向のサービスになるのかな、などと思います。
必ずしも宇宙関係ではなくなってしまうのですけどね。

– ご自身の生活の中でペインはありますか?

一応、日々、アイデアはメモしているんですよ。
ただ、これだ!というほどのものにはたどり着いていないですかね。
一方で、日々の仕事や情報収集、意思決定等で抱える悩みはそれなりにあるんですが。

例えば、僕が一番ペインに感じているのは競争入札。
公的な機関だと契約先を決定するのに競争入札が多いのですが、正直、かなり手間も時間もかかりますし、その結果としても、費用対効果の高い適切なマッチングにならないケースが多いのではないかと思っています。もちろん、公平性の観点が必要なのは重々承知していますが。

– 一度決めてしまうと交換が難しいこともあり、大企業や公的機関のプロジェクト入札も、本当は、SaaSの方があっているものというのも多いですよね。

そうですね。
時代に対して制度が追いついていないのかなという肌感があります。

– プライベートですと、ご趣味、興味関心の分野はいかがですか。

ガジェットや新しいものが好きです。
ドローンとか、骨伝導のヘッドセットとか、
新しいものをよく買ったりしています。

– 骨伝導のヘッドセット?

走ったりする時に使ってます。
イヤホンだと周りの音が聞こえなくて危ないですしね。

僕は、多分、不満や不便を感じたら、すんなり受け入れたり我慢することができない性質でして(笑)
もう、すぐに、解決したい。なので、まだあまり普及していないような、新しいサービスやプロダクトにまで手を出すのだと思います。
その意味だとアーリーアダプター的なところがあるのかもしれませんね。

趣味でいうと、音楽ですかね。
これまでの人生で、いろんなジャンルに変遷してきたので、これ、といった特定のジャンルではないですが。少し前はよくフェスに行ったりしてました。大学の頃は仲間内でDJをやったりとか。
あとは、サバゲーをやっている時もあったし、自転車をやっていたときもあったし、、
飽きっぽいところがあるというか、新しいもの好きなのかもしれませんね。

– 今気になっているものはありますか?

ワイヤレスイヤホンが気になってたのですけど、最近買っちゃったんですよね。
あとは、、何かものづくりをやりたいので、まずIoTデビューしたいからとPythonに挑戦したりしています。
Udemyの講座で勉強しています。

[ オンライン授業 – Udemy ]

これから

– 今、5億円もらったらどうしますか?

ん〜…、とりあえず会社作って何か事業始めてみますかね。
仕事は休職して(笑)

– やったことがないものを、まずやってみたいという気持ちが先に立つのでしょうね。

僕は物欲もある方なのでモノにも多少散財はしていますが(笑)
経験によって自分の人生が豊かになっているな、というこれまでの実感があって、経験には積極的にお金を使うようにする傾向はあります。

家とか車とか、そういうのはあまり興味ないですね。
時代の風潮もあるし、経済的合理性みたいな論点もあると思うんですけど、そもそも一つの場所に縛られるということに、なんとなくリスクを感じるんです。

– ふむふむ。

家について言えば、僕は東京に出てきてから、ずっとシェアハウスに住んでいたんですね。
通勤時間というのが、すごく無駄だと思っていて。
なので会社の移転にあわせて自分も近くに引っ越したりしていました。

– 柔軟性は大事ですね。シェアハウスはどういったところに?

わりと大手から個人事業みたいなとこまで様々ですね。
バックパッカーズのスタッフ時代には、プレハブみたいなとこにも住んでました(笑)
今の会社に入ってから、流石にと思って賃貸に変えましたが。

– なるほど。今年やりたいことは。

やっぱり何かサービスかプロダクトをつくってみたいですね!
プログラミングとかと合わせて。
クラッピーというただ拍手をするだけというシュールなロボットがあるとメイカー界隈の人から聞いたのですが、趣味だとああいう謎ガジェットとかも作ってみたいですね(笑)

[ 拍手ロボット – ビッグクラッピー ]

– 宇宙系ですと、いかがですか?

今お手伝いしているイベントでもお話しするのですが、衛星データの活用に最近興味があります。
今の会社に転職してすぐ、Startup Weekendという団体で宇宙をテーマにしたイベントがあって、顔を出すことにしたのですが、
そこで出会った方とご縁があって、今年の3月に開催されるStartup Weekend Spaceの2回目のお手伝いをさせていただくことになりました。

[ Startup Weekend Tokyo Space #2 ] https://swtokyo.doorkeeper.jp/events/87258

– 4月5日ですか、もうすぐですね!そして、まさにここ(X-Nihonbashi)でやるのですね!

そうですね、最終日は秋葉原のヤヨイヒロバさんになります。
今日も、ここでまさに、Startup Weekend Spaceのプレイベントとして、衛星データの活用に関するイベントをやります。
どのように社会課題を解決できるのかということを議論するアイデアソンですね。

[ SWT Space #2 プレイベント – 宇宙データアイデアソン ]

(※こちらは大盛況で開催終了しました!)

こういうことを積み重ねて、宇宙に関心を持ってくれる人を増やしていけたらと思っています。

– これからが楽しみですね。ありがとうございました!

終えてみて

武田さん

色々聞いていただいて、自分の中でも振り返りができてよかったです!
Polarisさんの記事を拝見していて思うのは、みんな色々悩んでいるんだということ。
真面目に、自分が正しいと信じることをやっていれば、それがいつか帰ってくると信じて、引き続き頑張っていきたいと思います!

Nocchi

私は子供の頃からSFが好きなので宇宙には興味があって。
宇宙業界未経験でも転職できるのだということが一番衝撃的でした!
色々なお話が聞けて楽しかったです。
Startup Weekend Tokyo #2 Space、楽しみにしています!

Profile

武田 隆史 / Takashi Takeda
1988年兵庫県生まれ。
2011年に農業人材ベンチャーに入社、5年後に取締役を務める。
2016年から期間限定でIoTベンチャーに参画し、2017年より宇宙機関にて宇宙産業振興をミッションに。