Vol.43 – 高木龍平 / 東京の会社員だった僕が、いま沖縄でフリーランスをしている理由

※内容は、2019年7月時点のものです。

2013年6月から、石垣島や本島など、沖縄でフリーランスをされている高木さん。
それまでは大手企業に勤める会社員だった彼が、いまこの生活を選んでいる理由とは。
沖縄での生活についても注目です。

人間万事、塞翁が馬。

いま


– 高木さん、今やっていることを教えてください。

石垣島のマリンショップのWeb担当をしています。
個人事業主ですね。

[ 高木龍平 / Ryuhei Takagi ]

– もともとは東京のご出身なのですか?

出身は千葉で、就職してから約10年間、東京で働いていました。
新卒から3年目までは外資系のシステム会社でシステム・エンジニアをしていました。
その後転職して、アイレップというインターネット・マーケティング企業へ。

[ アイレップ – デジタルマーケティング・エージェンシー ]

かなり色んなことをやりまして…
システム開発部門の立ち上げから、兼務で色んなことをやり、社内の情シス担当、Web解析ツールを用いたコンサルティング部門、リスティング広告の安定運用部門、海外顧客部門など多くのことをやりました。

– 転職されようと思った理由は?

1社目でのキャリアが描きにくくなって…
もやもやしていた時期に、2社目からお誘いがあったんです。
お誘いしてくれたのは、1社目の同期だった。
彼は僕より先にその会社に転職していて、声をかけてくれました。

インターネット広告という業界にも以前から興味があったし、それに乗ることにしました。

– 実際行かれてみていかがでしたか?

楽しかった!
当時はまだ完全にベンチャーでしたし。
60-80名の規模でしたね。

転職してよかった。
ここには7年くらいいました。

– そこを辞めようと思われたきっかけは?

社員教育の一貫で、会社が用意してくれたセミナーがあったのですが…
まさに、「これからは個人の時代です」というテーマでね(笑)

– Polaris的なやつですね(笑)

そうですね、そこで、僕は、個人として生きたらどうなるかやってみたいと考えた。
会社を辞めるまでは1年くらいかかりましたが。
兼任している部門も多かったので引き継ぎもあったし。

– 辞められる後のための準備は何か?

いや、僕、辞めて1年くらい働かなかったんですよね。
貯金もあったし、その間に沖縄に引っ越して、普通に過ごして。
会社員時代の終盤から教員免許を取ろうと思って、通信制の大学に通ってて、時間ができたのでこの期間に教育実習を終えて免許をとりました。

– ふむふむ。沖縄に引っ越された理由は。

海が綺麗だから。
東京で会社員をしている頃から趣味でダイビングにはまっていて。
船も好きで、その時代に船舶免許を取得したりもした。

どうせ自由に生き方を選べるのならば、海がいいと思った。
それに、花粉もないし、冬も暖かい。
そんな理由でした。

– 引っ越し先はどうやって探されたのですか?

まずは何も考えずに、自転車だけ飛行機に積んだ。
ゲストハウスに2週間入居して、その間に物件をみにいった。
当時は結局、北谷(ちゃたん)のレオパレスにしました。

– なるほどー。仕事をされ始めたのはそこから1年後くらい?

そうですね、だいたい。
石垣島に引っ越した後でした。

たまたまダイビングをしていた頃の友人が石垣島にいて、遊びに行くつもりで行ったのですが、「スタッフを探しているのだよね」と言われて、手伝うことになり、そのまま住むことに(笑)
アルバイトでしたが、ダイビングショップのスタッフとして、仕事を始めた。

– そろそろ仕事を始めようかなというきっかけはなんだったのでしょう。

お金というよりは、本当に「頼まれたから手伝うか」という気持ちでしたね。
そのダイビングショップが、僕が働き始めてから3ヶ月くらいで店を閉じることになり。

その後は特に働かずに遊んでいたのですが、友人の子供が通っていた学童クラブで男性の人でを探していると言われ、これまたお手伝いさせてもらいました。
これがNPO法人ちゅらネット(ちゅらハウス)。

[ NPO法人ちゅらネット ]

-こちらではどういったことを?

基本的には子供の遊び相手でしたが、僕は英語の教員免許を取得していたので、英語であそぶ、程度の英語教育プログラムをやらせていただいていました。
これは半年くらいですね。
ここで石垣島の1年目が終わり、この後千葉の実家にふらりと戻りました。
ですが、1ヶ月くらい経ってみて、自分で仕事を始めてみるかという気持ちになって。
どこでやろうとなったとき、慣れている場所がいいと感じ、結局石垣島に戻ることになりました。
そこで開業したのが「デジんちゅ」です。

[ デジんちゅ ]

– 沖縄っぽい名前がいいですね(笑)これはどのように顧客を集めて行かれたのですか?

手伝っていた学童の子供たちがきてくれましたね。
あとは知り合いの子供とか。

結局長続きはしなかったんですけどね。
立ち上げることは勉強にもなったし楽しかったのだけれど、いわゆる1→100をやるときにモチベーションが続かなくなって、結果として1年くらいで閉じることになりました。
完全に自分1人でやっていたので、管理も必要でした。

– 同じタイプなのでよくわかります(笑) その後は?

周囲の友人がお店を始めることが多くて、それのインフラ・エンジニアやWebエンジニアなど、IT/Webコンサルティングをやることが多いですね。これが現状。
毎月生活費くらいは稼げています。
まぁ僕はモノにお金がかからない方なので、そもそも必要金額が少ないということはあるだろうけれども。

– わかります(笑)実際にフリーランスをされてみていかがですか?

う〜ん、楽(笑)
月並みかもしれませんが、働く場所と時間が自由に設定できること。
場所はどんどん変わっていくのかもしれません。
時間は…乱そうと思えば簡単に乱せるのだけれど(笑)、その分規則正しくしようと心がけています。

– わかりみが深い…フリーランスの極意は、最終的に自己管理に尽きますからね(笑)

これまで


(デジんちゅでの風景)

– 子供時代・学生時代。

幼稚園?なかなか前だね。
泣き虫だったかな…
きっちりしている方が好きだったので、テレビで時間を見て、家を出る準備をするという子供だった気がします。

– 自立した性格ですね〜。ご兄弟は?

姉が一人いますが、彼女の影響はそんなにないですかね。
もともとだと思います。

– 素晴らしい…小学校はいかがでしたか?

勉強は真面目にやっていたと思います。
学級委員とかはやっていなかったですね。
役職につくのをひたすら避けていた。
当時は目立つのがあまり好きではなかったですね。

– 習い事はされていました?

幼稚園から中学2年までエレクトーン。
これは母と姉の影響ですね。

パソコンは子供の頃から好きで、小学3年生の頃にPCを買ってもらいました。
MSXという規格の、PCとゲーム機が一体化したもので、雑誌に載っているコードをひたすら打ち込んでプログラミングで遊んでいた感じです。

[ ホビーパソコン?ゲームパソコン?多くの人がいまだ愛して止まない、一時代を築いたパソコン規格「MSX」とは ]

– ここでプログラマーの素質が養成されたのですかね。

ただ中学以降はプログラミングから離れたので続かなかったんですが、小さい頃から好きではあったのだと思います。

中学からは、学校的には優等生だったのだと思う。
今思えば、いろんな経験をもっと積んでおけばよかったなと。
部活は陸上部でした。

– 高校は。

勉強は若干手を抜くことを覚えつつも、真面目に学校には行っていて。
2年の夏で陸上部を辞めて帰宅部になってからは、放課後友達とトランプゲームするなどの遊びは覚えました(笑)
受験をしたけれど1回目では受からなくて、浪人して。
第一希望だった早稲田大学の(当時でいう)理工学部へ入学しました。

[ 早稲田大学 – 理工学術院 ]

– 理工学部でされたかったことは?

ロボット作りをしたかったんです。
子供の頃から工作が好きで、ものづくりとコンピュータを掛け合わせたのがロボットだった。

当時はまだハッカソンなどのイベントはなかったけれど、卒論では、人の顔と同じように動くロボットをつくって、立体版テレビ電話のような形にしたらコミュニケーションはどう変わるかというものをやりました。

仮説では、目は口ほどにモノを言うということを立証したかったのだけれど、そこまではいけず、可能性はあるくらいになりました(笑)

– Pepperとかがお好き?

実はロボット熱は途中から冷めてしまい、大学院を中退したので、今はそうでもないんですが(笑)
とはいえ、ロボットが日常に溶け込んでいく時代は来てくれたらとは思います。

– そうなのですね。院の途中で就活をされた?

就活するんだったら研究しろと言われたのがトリガーで…
いや、就活でいいでしょと思い、就活を始めたのですが、中退なので新卒扱いにもならず、当時は第二新卒という言葉もなかったし、なかなか苦戦をしました。

– 行きたかった会社は?

当時はコンサルティング・ファームが人気だったので、それに乗っかる形でコンサルは結構受けました。
結局、システムコンサルの企業に決めました。
当時のEDSは、A.T.カーニーの親会社でした。

[ EDSジャパンについて ] [ A.T.カーニー ]

– 昔の自分に言いたいこと。

優等生も悪くないけど、もっといろんな経験もしたほうがいいよ、ですかね。
旅行とか。
旅行で行けば、EDS内定後、入社までに1年間ブランクがあって。
ニュージーランドにワーキング・ホリデーに行ったんです。

[ NZ ワーキングホリデー ]

EDSのインターンでお金を貯めて、英語の勉強を主目的にしつつ、半年間のうち3ヶ月間は英語学校、残りの3ヶ月間は全然働かずに遊んでいました(笑)
現地の学校にもぐりこんで授業をこっそり聞いたりしていました。
こういう子供のうちからもっとしてもよかったんじゃないか、って。

小学校高学年から中学生くらいは、まさに”学校に求められることを忠実にやってきた”時期だったので、この頃にもっと殻を破れていたらとは思います。

価値観


(ダイビング中の高木さん)

– 今はまっていること。

直近3ヶ月くらいは、今住んでいるシェアハウス”ギークハウス沖縄”の生活を満喫しようと思っています。
また石垣島に戻ってもいいし、海外に行ってもいいなと。

[ ギークハウス沖縄 ]


(管理人Nocchiも宿泊させていただきましたが、ベッドはセミダブルのロフトベッドだし、リビングは天井が高くてオシャレだし、近所にコワーキングスペースなどもあり、大変快適です!)

– 同じギークハウス住民の三浦さんにもインタビューさせていただきましたね。

[ Vol.11 – 三浦 信二 / 僕が”旅するエンジニア”になるまでとこれから ]

– やっぱり南国がお好き?

沖縄を選ぶ理由と同じなのですが、海が綺麗な方が心が落ち着くので…
花粉や寒さと戦う労力はやっぱりかけたくないし(笑)
多分、一番強い価値観が”無駄なことが嫌い”、だと思う。

– あ〜〜、とってもわかります。…とすると、自身がもっとも感動する時というのは…

一番嬉しく思うのは、生活の中で”無駄を省くための仕組みがうまく機能した”時かな。

– めちゃくちゃわかります(笑)

見ている世界観の違いなのかもしれないですけどね。
僕らは、会社員よりフリーランスのほうがよほど解放されていると感じる種別だけれど、そうでもない人もいる。
家族の形も、働き方も、しっくりくるものが違うだけ。

– あ、じゃあ、最近聞いていないけれど、自分を動物に例えると?

ナマケモノですかね(笑)
外の環境にさほど関心なく、自分のペースで生きていると言うか。
この生き方がとても最適なのですよね。

– ふむ…自分もこれなのですが、この思考回路の人間がどうやって発生するのかのプロセスに興味があって(笑)

これは僕の仮説ですが、特に高度成長期後の日本においては、型通りに行動する人間が大量生産される教育が行われてきた。
北と南では、生死をかけた気温や食物自給の環境差分でいくと、南の方が死ににくいので、メンタルとしては自由な人が多い気がします。

僕自身は大学4年までは、いわゆる”レール”人生だった。
自分が固有で持っている思考回路と、置かれている環境の差分に耐えられなくなったのが、大学院を辞めた時。
だから、人生最大の転機は、院を辞めることを自分で決定した時なのだと思う。
ここから、自分で決定する人生へ突入することができた。

– 私も大きかった最初の転機は、一人暮らしを始めた時ですね。

多くの人は固有の自分と置かれた環境に、大なり小なりギャップをもっていて。
固有の自分に正直に決定、行動するようになれば、ストレスは減っていき、これを残したまま就職をした人たちには、ストレスという形で現れてくるのではないだろうか。

あるべき姿。
すなわち、一番、自分が自然でいられるあり方。

– イヤイヤな状態で、スーツ着て満員電車に乗っている人たちは、そりゃあきついわけですね。

とはいえ、レールを外れることにも体力がいるんですよね。
踏み切ることも、その後も、ストレスがないわけではないだろう。
なので、どちらがストレスが小さいか、心の奥底では天秤にかけて、現状を選んでいるのだろう。

– わかります。なのでキツすぎると出た方が楽なので出ますよね。

そうですね。
なのでPolarisの試みはいいと思う。
自分に何が合うのか。
今は複業の概念もだいぶ浸透してきた。
旅をして合う国を探すこと、自分の好き嫌いを知ることは大事ですね。

– そう思います。やっていて楽しいこと。

パソコンやガジェットをいじっている時。
海の上にいる時。
船に乗っている時。

船に乗っている時が一番幸せかな。
海が好きなのがまずありつつ、乗り物として、急いだら負けなものなのです。
早い方が勝ちな乗り物の中で、急ごうとすると、水の抵抗が強くて速く運航できないし、燃費も悪くなる。
波に任せて、マイペースに進む乗り物だし、水の上であればどんな方向にも進んでいける。

– わかります、カスタマイズ性を求める。

縛られることをとても嫌がりますよね(笑)
あ、ただね。
体力的に弱ってくると、自分がすることが決められている方が楽だなと思うことはあります。
次に何にしようと考えるのはとても楽しいのだけれど、選択肢が多すぎて、あらかじめ決められていた方が楽なのかもしれないと思うことはある。

とはいえ、これは一時的な気の迷いであって、決められたら絶対に反発するのだけれどね(笑)

– わかります、納得感がないんですよね。全てを自己責任にさせてほしい。

そう。
だから、自分が決めたルールに縛られるのは全く問題ない。
僕はtoodledoでGTD管理をしているのだけれど、無駄なく、効率的に進められるような、細かなルール設定をしています。

[ Toodledo – Online ToDoList] [ タスク管理「GTD」のやり方・具体的手順を解説 ]

– 無駄と無駄じゃない、の差分ってなんなんでしょうね。多分、我々のようなタイプは、いくら稼いだとか、家庭を作るとか、そういう”一般的”なことを目標にしていなくて、死ぬその瞬間まで自分の思い通りに生き切ったかで判断している気がします。

なんだろうな…
それをやったところで、自分の経験値が一切上がらないことを、無駄、と呼んでいるかもしれない。
どんなことでもやったことのないことをやってみるのは価値があると思う。

だから、いま仕事を受けるときにも、ルーティンワークは受けないことにしている。

– ああ、わかるなぁ…できないのではなくむしろできるけれど、それをやることで人生を送ろうとは思わないですね。

そう。
どんなに高い時給を提示されてもやりたくない。

– このタイプは多分、やりたいことが生まれてこなくなった時に、もはや生きる意味を感じなくなりそう(笑)

そうなんだよねぇー…
なので、新しく、楽しく感じることは、常に探求しないとなと思っていて。
僕は、実はまだWebサービスをつくって公開するということをしてこなかったので、それをやろうと思って勉強しているところです。

– やっぱりクリエイティブなんですね。私は漫画を描くのですが、自己完結・管理タイプは自分でやるほうを好むので、意外とクリエイターに着地していく気が、最近しています。

Web開発も、受託だと、”作業”になるから、自分が作りたいものを作るか、友達の仕事を好きで手伝うというあたりが限界かな。

– お金が出ないプロボノをしていると、どうしてできるのと聞かれるけれど、その質問をされると、ああ、この人は価値観がお金なんだなと感じますね。

そうですね。
自分が好きなことをするか、好きな人を手伝うか、どちらかですね。

– 好きな人の傾向ってありますか?あ、恋愛対象とかいう意味ではなく。

信念がはっきりしている人ですね。
自分がどういう働きかけをすれば、その人が満足するかを判断しやすい。

– なのでやはり起業家は、手伝ってくれる人が集まりやすいのかもしれませんね。ご趣味は。

海遊びは好きなので、スキューバダイビングとか。
船に乗ったり、あわよくば操船に携われないかなと思っている。

あと、マラソンはしています。
沖縄も那覇マラソン、沖縄マラソン、石垣島マラソンを制覇しています。

– 操船は免許とってやってみちゃうと良さそうですね。

一週間くらいで取れるのでおすすめです。

– 海を起点に、もう一歩進めようとしていることってありますか?例えばスキューバをやりながら写真を撮って、写真集を出すことなどもできる。

ダイバー1つとっても、好みはすごく細分化されていてね。
写真、地形、魚など、どこに特化していくかは人による。

僕は地形と大きな生き物が好きです。
一方で写真集を出したり、ガイドをしたりをしようとはそこまで思わないかな。

できなかったことをできるようになった時点で、満足度が高いんです。
機材を背負って自由に泳ぐことができるようになったので、僕にとってはスキューバに求めていたことはほぼ達成されている。

海は好きなので、Webサービスのほうで、海関係のものをいくつか作りたいなと思っています。

– 2番目に好きなもの、なのですかね。りこちゃんのインタビューで出てきて、とても印象深い話があった

[ Vol.38 – 山口莉来 / 高校編入とスタンフォード留学を経て、N高3年生の私がいま思うこと ]

ああ、この子、N高の子なんですね。
そういえば、伊計島にN高の校舎(本校)があるんですよ。
求人を出していたこともあって見学に行ったことがあって。
多分廃校を利用しています。

[ N高 – 沖縄伊計本校 ]

自分がそこで働くイメージは湧かなかったけれど、そこで教えたりするのは楽しいのかもしれないですね。

あとは旅行もしていました。
会社を辞めた後、沖縄にいくまでの間ですね。
東南アジアをバックパッカーしています。
住みたいと思える街の選択肢を増やしておきたいと思った。

– 住みたいと思える街はありました?

一番住みたいと思えたのは、マレーシアのコタキナバル。
二番目がラオスのビエンチャン。

[ コタキナバルの観光スポット39選 ] [ 世界一何もない首都!?ラオスの首都ビエンチャンの5つの魅力 ]

ラオスは海がないので自分の中でも住みたいと思ったのは意外だったのですが、街は快適で、ビールは美味しくて、とても良い街でした。

– 欧州や南米は行かれないのですね。

ちょいちょい日本に帰ってくると思うので、日本へのアクセスが楽な方が、長期的には暮らしやすいのだろうなと思います。

– うちのいとこはホーチミンに住んでいるのですが、同じ観点なんだろうなと思います(笑)

ベトナムにもギークハウスができたので行ってみたいなとは思っています。
ギークハウス自体は、「コワーキング 沖縄」で検索してたどり着いて。
でも住んでみたらむちゃくちゃ快適でした。

欲しいものがなんでもある。
家賃は1月3万5,000円です。

– たしかにめちゃくちゃ快適ですね…私も住めそうだ…(笑)

これから

– 今年やりたいこと。

とりあえず、自作のWebサービスを公開すること。
がんばってます(笑)

– 来年やりたいこと。

すごく希望的観測ですが、Webサービスがうまくいけば、海外展開もできればと思います。
その名目のもと、海の綺麗な都市を巡れたらいいなと。

– ウブドとか向いてそうですけどねぇ。カンクーンとかキューバとか。

[ インドネシア・バリ島ウブドがノマドに最適な2つの理由 ]

バリ島は行きましたが、海目的でした。
中米の国も治安がよければいいですね。

– いいですね。以前は10年後とかも聞いていたのですが、遠すぎてあまり意味がないなと思い聞いていないんですよね。

そうですね。
僕はそういえば、将来の夢という作文を書かされるのが嫌いだった(笑)
提示されていない状態で書かせても意味がない。
どう書いたら合格かはわかっていたけれど(笑)

– わかっていない子に未来志向させるのは意味があっても、こういう子達に”社会での100点の取り方”みたいなのを刷り込んでも仕方ないですよね。難しいな教育。あと、進路指導を、教職しか知らない人が行うのはおかしいと前から思っていて。

そうなんですよね。
学校以外の社会を見てきてないんだから専門教科以外教えられないのに、、その人にキャリアアドバイザーやらせちゃだめですね(笑)

– 上の世代というのは、下の世代に対して、自分のリカバリが効く範囲に置いておきたいのではないかなと思っていて。善意で、若い世代を守ろうとしていることが、結果として裏目に出て、彼らの可能性を狭めることがありうる。

そう、善意なのが難しいところだね。
昭和の世界観における成功体験を、悪意なく提唱しているのだと思っている。
大企業に入り、結婚して、子供を持ち、老後を過ごすことがいいと、彼らは善意で、子供に提唱している。
彼らを傷つけないように、時代が変わったことをさりげなく行動で見せていくのが、僕ら世代に推奨される行動かもしれない。

特に親子関係において、親にとっては、子供とは、長い時間をかけてつくった”自分の作品”であるという意識が奥底にあるはず。
その時、作品には、自分の気に入る輝きを放って欲しいと創作者観点では思うであろうものなので、ある程度、自分の意向を出してくるのだと思います。

– なるほどなぁ…整理されました。これからの働く世代へ。

どういう状態が自分にとって一番自然で、ストレスのない姿であるのかを、常に意識しているといいと思います。
その意識さえ持てていれば、あるべき状態と置かれている状態のギャップに気付いた時に、それを修正することができる。

もっとも怖いのは、ストレスを感じているにも関わらず、そのギャップを自覚できず、ストレスを感じ続けることだと思います。

– ありがとうございました!

終えてみて

これでよかったのかという感じですが(笑)
僕は学校も働く先もレールに乗ってきて、ある日そこから降りて自分で歩いていくことを選んだ。
Polarisのテーマには沿っていると思うので、何かの参考になればと思います。

Profile

高木龍平 / Ryuhei Takagi
【学生時代】
1995年 3月 千葉県立千葉高等学校 卒業
2000年 3月 早稲田大学 理工学部 機械工学科 卒業
2001年 3月 早稲田大学大学院 理工学研究科 機械工学専攻 中退
2001年 10月 ニュージーランドCrown Institute of Student 留学
2014年10月 日本大学通信教育部 文理学部 英文学専攻 教職コース 修了
【東京勤務時代】
2002年 4月 EDS Japan LLC 入社
2005年 8月 株式会社アイレップ 入社
【石垣島にて】
2015年 6月 NPO法人ちゅらネット(ちゅらハウス) 勤務
2016年 12月 デジんちゅ開業

ライター

Nocchi

働き方相談所Polaris管理人。
複業支援、企画、コミュニティ・マネージャー、新規事業支援などを行う、9足わらじパラレルワーカー。
漫画家、グラレコーダーでもある。

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