※内容は、2019年2月時点のものです。
僕らは、巨人の肩の上に立っている。
– アイザック・ニュートン
やりたいことが特に見つからず、好きだったゲーム会社に入社するも、ピンとこず転職を決めた高橋さん。
やがてStartup weekendに出会った彼は、そこで出会ったメンバーに刺激を受けながら、環境・エネルギー関連企業のコミュニティ・マネジャーを務める事になりました
そんな彼は今、Startup Weekend Environment and Energy を企画しています。
いま
– 今、なさっていることについて教えてください。
フリーランスとしてエネルギー系企業の協賛するコミュニティのマネジャーをしています。
スタートアップや、そこへ関心のある方々のコミュニティを作るというお題で受託しています。
– コミュニティマネジャー、増えてきましたね。
この言葉、最近増えましたよね。
誰のためのどういうものか、コミュニティのアイデンティティがどういうものかが定義されていると、価値は作りやすいと思います。
僕はこれから作っていくので、いろいろと試行錯誤しているところです。
KPIとしては、メンバー数などですね。
– コミュニティとは、何だと思われますか?
運営者もメンバーも同じ意識で、コミュニティを語れる状況のことだと思います。
僕はこの仕事を受けたことで、コミュニティとは何かを深く考えることができたので、いいきっかけになったなと。
– 電力系には、以前よりご興味があったのですか?
ありますよ!
大きな話でいけば、人類の歴史に密接に関わっているもの。
産業革命を経て、エネルギーの消費により多くの技術が実装されるようになり、この流れはもはや不可逆。
その一方で、環境問題や化石燃料の枯渇などが出てきて、これをどう解決しながら進化していくかは人間の大きな命題だと思っています。
また、日本では震災によって原発問題が顕在化したこともあり、どのように発電していくかを多くの国民が意識するようになった。
日本は特に「都合の悪いものは見ない」という恥の文化がありますが、現実から目をそらさずに問題を議論できるきっかけを作れるのはいいなと思っています。
– 気になるお会社や技術はありますか?
株式会社チャレナジーですね。
新しいタイプの風力発電の風車を作っているスタートアップです。
従来の風車は、実は強風が吹くと安全のために止めざるを得ないんです。
しかし日本や東南アジアは台風があるので、強風でも使える方がいい。
沖縄や石垣島で実証実験をしており、2020年代には商用化を目指しているそうです。
– 面白いですね!
多くのスタートアップは、大手含めどう競合に勝ちシェアを取るかが一つ目標ですが、この会社は、従来の勝者に挑む選択肢は取らなかった。
従来の形の風車に挑むのではなく、違うセグメントを取りに行くという姿勢がいいなと思いました。
– 他のお仕事も受けてらっしゃるのですか?
はい、ミテモ株式会社という会社で執筆・編集をしています。
きっかけは、そこで働いている友人に声をかけてもらったことです。
noteを使ったオウンドメディアの運用やイベントレポートなどですね。
– 働き方としては、基本的にリモートになるのでしょうか。
そうですね、出社の概念はありません。
ミテモのオフィス自体は神田にあるので、そこにはたまに行っています。
– 会社員の頃の働き方と比べていかがですか。
会社を辞めた当時はしばらく会社員はやめようと思ってましたが、フリーランスになっても、仕事は会社という箱ありきの話なので、僕にとっては、フリーランスでなければいけないということはないなと思うようになりました。
– 契約形態の問題ではないということですね。
これまで
– 子供時代、学生時代。
僕は一人っ子で、マイペースでした。
小学校の頃は国立大学附属小学校に電車通学していたので、近所に同い年くらいの子供というのがいなくて。
遠くて、1時間くらいかかっていたんです。
なので、家でやることというのは本や漫画を読むことでしたね。
– 何を読まれていたのですか?
だいたい、週刊少年ジャンプ…
コミックスで、ドラゴンボール、スラムダンクなど、いわゆる黄金期の漫画をよく読んでましたね。
– 習い事やクラブ活動などはされていました?
近所で剣道と書道をやっていました。
小3からは英会話にも行っていました。
やっててよかったのは水泳かな。
好きではなかったけれど、泳げるようになってよかったなと(笑)
子供の頃は球技が苦手で…
あの頃ってドッジボールの強さでスクールカーストが決まったりするじゃないですか。
僕はそんなに強くなかったので、割と好きになれなかった(笑)
– 好きな科目はありました?
科目というより、好きな先生の話は聞いてたという感じで…(笑)
それがあったら、もっと色々と突き詰めているのかも。
– 中学生の頃はいかがでしたか。
学校は相変わらず国立大学附属学校に行っていました。
僕の家では小学校高学年の頃からパソコンがあって。
その頃からパソコンを触る時間が増えていきました。
中学は遊戯王が流行ってハマっていたのですが、近所では遊ぶ子がいなかったので、遊び相手をオンラインに探しに行っていた。
BBS(オンライン掲示板のこと)でポケモンや遊戯王の対戦相手を探し、オフ会に行っていました。
– BBS懐かしい!ネット交流に馴染むのがずいぶん早いんですね。私はオフ会へ行き始めたのはmixi経由で、大学生の頃からでした。
確かに思い返してみると、早いのかも。
中2の頃にはホームページ作っていたし。
ゲームの情報サイトとかやってましたよ。
ブラウザで遊べるゲーム、cgiとかが出始めてたので、それをサイトに設置していたりね。
– プログラマに振り切っても良さそうな気もしますね。
モチベーション的には、プログラミングというより、人と交流することが楽しかったから、そこまで振り切れなかったんですよね。
– その頃の夢は…
特にないのです。親にも何度も聞かれたけれども。
– 高校、大学の頃はいかがでしたか。
中学までは遠かったのですが、高校が自転車で20分くらいのところになって。
だからいろんなことをやろうという気になって、部活動紹介に行ってみた。
その中でバレー部を見たら、人数も少なくてまったりやれそうだし、入ってみようと思ったのです。
バスケ部は50人くらいいて、やる気がある感じでした(笑)。
– 球技は苦手だったとおっしゃってましたね。
そうですね、でも、この経験で、ゆっくり好きになっていった。
中学の時に剣道部だったのですが、夏は暑いし防具が重いし(笑)高校はやらなくていいかなと思って。
まったりやれるならいいやと。運動自体は好きでした。
大学のOBがやってきて、やたらキツイ練習を課して行って、思っていたのと違う!ということはありましたが(笑)
– やってみてよかったと思いますか?
才能があったとは思わないのですが、時間をかけてでも、ちゃんと練習して、スポーツができるようになるんだという成功体験が積めてよかったなと。
子供の頃からの苦手意識が払拭された。
今でもバレーは続けています。
– 大学でもバレーをされていましたよね。
ですね、ゆるいサークルに入っていました。
大学はさらに近くなって…受験終わってやることないので持て余していました(笑)
バイトにも興味がなかったので…ゲームしていましたね。
あの頃はゲームキューブでバイオハザード4とかしてました。
僕の行っていた大学は1,2年が教養学部で、3年の時に専門を選ぶのですが、特にやりたいことがあるわけではなかったけれど、あえて言うならということで教育学部を選びました。
とはいえ、教師になりたいわけでもなく、好きなゲームの会社に行こうかと思い任天堂に行くことにしました。
特に会社説明会での故・岩田聡社長のスピーチに感動したのは大きかったですね。
細かいところはちょっと覚えていないのですが(笑)
– 任天堂ではどのようなお仕事を。
海外事業部で、管理業務をしていました。
企画もちょっとやりたいとは思っていましたがキャリアパスも違うし、行こうと思わなくていいかなと…
あの時の発見としては、会社と社長の業績が知られている会社でも、すべての現場が必ずしも生き生きとしているかと言うと、違うのだと言う気づきでした。
出身は東京で、会社が京都にあるということもあり、自分がずっと京都にいることについて考えました。
転職活動を試しに始めた矢先で、東日本大震災が起こって、面接が飛んだりしましたね。
実際に転職したのはそこから2年後くらい。
– 確か、英語学習アプリのスタートアップでしたね。
iKnow! と言うプロダクトを作っている会社でした。
法人営業や事業開発をやって、入社後2年弱でDMM.comに買収されました。
DMMでも英会話事業を引き続きやりながら、1年半くらいで退職し、今に至ります。
– フリーランスになると決意したきっかけは。
所属会社が嫌だったと言うわけではないのです。
会社もメンバーもよかった。今もたまに、会社の人にお会いしています。
ただ、当時は、その時の仕事が、自分にハマっていないなという感覚があったから、ですね。
価値観
– 今、一番情熱を持っていること。
これだ!と言うものにはまだ出会えているわけではなくて。
ただ、知らないものに出会えるのは楽しいですね。
今はStartup Weekendという団体で運営に関わっているのですが、環境・エネルギーをテーマにした回を企画しまして、来月に開催予定なので、その準備に一番奮闘しています。
– プレイベントもあるのですね!Startup Weekendに関わられたきっかけというのは。
僕がStartup Weekendに出会ったのは2014年の秋ですね。
きっかけは確か、Pepperを使ったアイデアソンに参加したときで。
他の参加者にStartup Weekendのオーガナイザーの方がいて、誘われたのがきっかけだったかと思います。
話を聞いて、面白そうだなと思って。
でも、知り合いもいないしどうしようかなと悩見ましたが、「いいや、試しだ!」と思って横浜で開催されていたイベントに参加したのが、始まりですね。
ちなみにその頃は東京に住んでいたので、3日間、毎日横浜で通いました(笑)。
そのときの体験が強烈で、その半年後の横浜で開催されるStartup Weekendのときにオーガナイザー(運営)に誘ってもらったのがオーガナイザーになったきっかけです。
– Startup Weekendに関わって、変わったことはありますか。
変わったというか学んだことは、たくさんあります!
一つ挙げるならば、起業の0の部分(はじまり)に取り組む方法をほとんど誰も知らないしそれが当たり前だと分かったこと。
そしてそのための方法論がちゃんと体系化されているということを腹落ちして理解できるようになった、ということですね。
僕は、まだ会社員だった20代半ばの頃、起業してみたいと、一瞬だけ思ったことがあったんです。
けれど、何をどうしていいかさっぱり分からなかった。
周囲にそれが分かる人、やろうとしている人が誰もいなくて、相談もできませんでした。
そこから、思考を進めることができなかった。
ところが、Startup Weekendに関わり始めると、起業の方法や内容で悩んでいる人や、すでにそれをクリアして起業をしている人だとか、そういう人を支援している人に、たくさん出会うことができたのです。
– 共通言語をもつ人との出会いは大きいですよね。オーガナイザーになろうと思われた動機は?
純粋に興味があったというのもありますが、体験が素晴らしかったので自分も提供する側に回ってみたいという気持ちもありました。
今も続けている理由は、ここで出会う人、何かを一緒にやろうとする人のユニークさ、しなやかさに惹かれているのが大きいと思います。
彼らは、現状を良しとせず、常に何かに向かって動き続けている。
何か新しいチャレンジやアップデートできることを探して取り組んでいて、それをオーガナイザーのチームプロジェクトを通して実現しようとしている姿がとても好きですね。
– 刺激をもらっているのですね。
これから
– 今、5億円もらったらどうしますか。
前澤さんみたいに、人に分割して配るかなぁ。
投資で回収をしようというモチベーションというよりも、純粋に差し上げて、成長に使ってもらえたらという気持ちの方が強いですね。
– 今年やりたいこと。
今年かどうかはわからないですが、100BANCHでやっているようなプロジェクトに応募してみようかなと。
僕は事業家タイプではないのでスタートアップするのは向いていない気がしていますが、面白いと思ったことを形にするということをしてみたい。
– 何かが形になると良いですね。これからの日本はどうなると思いますか。
全体の流れを見れば、暗いのでしょうね。
ただ、自分がそれに引きずられる必要もなく。
解決しようとしている人を助けたいと言う気持ちはあります。
– 環境・エネルギーに関する仕事を選んだのもその一つなのですかね。
そうですね。
社会課題を解決する動きを作りたいというのは前から思っていて。
Startup Weekend Tokyo Environment and Energy でも、未来を考えたビジネスを作ることに興味がある、そんな方々に参加してほしいなと思って、頑張っています。
様々の人が、これをきっかけに事業を生み出していってくれる、そんな場になればと願っています。
– 盛り上がると良いですね!ありがとうございました。
終えてみて
高橋さん
インタビューを受けることはさほどないのですが、人とは人生の話をよくしますし、ブログにはよく書いているので、そこまで初めて感はなかったのですが、改めて、こことここが繋がるんだと言う気づきがあって面白かったです。
Nocchi
Startup Weekendのオーガナイザーとして約2年半の付き合いになる高橋さんですが、改めてお話を伺えて良かったです。
環境・エネルギー回、盛況が楽しみですね!
Profile
高橋昌紀 Masaki Takahashi
1985年東京出身。国立大学の教育学部を卒業後、2009年任天堂株式会社に入社。2013年に語学学習アプリ iKnow! を開発販売していたセレゴ・ジャパン株式会社に転職し、法人営業や事業開発に携わる。2015年に事業譲受にあわせて株式会社DMM.comに転籍。2017年に退職後はフリーランスとなる。ライター、コミュニティ運営などを仕事にしている。