Vol.30 – 大須賀芳宏 / 柏の葉街づくりの仕事を通して、僕がKOILのコミュニティ・マネージャーになるまで

※内容は、2019年3月時点のものです

目の前の人を笑顔にできなければ、その先の価値は生まれない。

KOIL(柏の葉オープンイノベーションラボ)でコミュニティ・マネージャーをされている大須賀さん。
企業に所属する会社員として働きながら、主に業務委託の形で複数のプロジェクトにかかわるというフリーランス的な働き方をされています。

彼がそれになった当時、まだコミュニティ・マネージャーという概念がなかった中で、自身はその仕事をどう捉えたのか。
自分が何者か、自分の仕事とは何かを語ります。

いま


– 大須賀さんの今されていることを教えてください。

名刺の数で言えば5種類、わらじの数で言えば、大きく2足です。
サラリーマンと、個人事業主として音楽系のライターをしています。

サラリーマン、株式会社カイケツの正社員としては、主に業務委託で様々な案件を受けています。

既存の業種業態が当てはまらない仕事をしていて、いつも説明に苦労するんですが、クライアントのプロジェクトの中に入り、様々なレイヤーにおけるコミュニケーションをサポートする仕事になります。

ですので、プロジェクトごとに名刺がある感じですね。

コンサルに近いのでしょうけども、コンサルは外からアドバイスするものだとすれば、私の場合は「中の人」に近い立場でクライアントと一緒に創り上げるスタイルが多いです。

[ 問題解決のための第三のパートナー – 株式会社カイケツ ]

– 現在関わっているプロジェクトは、どういったものが。

三井不動産のベンチャー共創事業「31VENTURES」の制度設計やマーケティング、その一環でもある、柏の葉キャンパスのコワーキング施設「KOIL」におけるコミュニティ・マネージャー。
これが「中の人」のイメージです。

あと、この4月に街びらきをする「幕張ベイパーク」という大規模マンションを中核とした街づくりにおける、エリアマネジメント設計と、そのエリマネの中核となる「場」づくり。
これはほぼコンサルタント的な業務です。
また、その「場」の1つとしてのコワーキングスペース「TENT幕張」もお手伝いしています。

三井不動産の多拠点型シェアオフィス「ワークスタイリング」では、案件ごとの受発注でUXまわりのツール制作やWEBマーケティングなどをしています。
これは従来の広告代理店的な仕事に近いです。

そのほかにも色々ありますが、中心的にはそういった案件をさせていただいています。

[ 31VENTURES ] [ TENT MAKUHARI ] [ ワークスタイリング ]

– おお、TENTはシェアキッチンもあるコワーキングなのですね!

楽しそうでしょう!
ここでは地域のプレーヤーの活躍をサポートする場、自主的・自律的な街そだてプレーヤーを輩出する場を目指します。

僕自身は、仕事において「自分のやりたいこと」は無いんです。
「目の前の人がやりたいことを実現するお手伝い」がしたいのです。

消極的に聞こえるかもしれないですが、それは私のような仕事をするには悪くないことだと思っています。
「クライアントの事業で自分のやりたいことをやろうとする」のはロクなことにならないと思っているので。

目の前の人の目的を実現するために、あらゆる手段で課題を解決すること、が私の仕事だと思っています。

たとえばツール創りで呼ばれても、お話を伺ってそれが解決につながらないのならば、ツール創らせていただかなくていいのでまずは週1通わせてください、とか。

その逆もありますよね。
「それってこういうツール1つ創れば人件費かからないんじゃないですか」ということもある。

-だからカイケツなのですね。

そうなんです。
以前は違う名前の会社だったのですが、それならカイケツにしてしまおうと社長と話し合って(笑)

ザ・営業活動はしたことが無いです。
今いただいているお仕事から次に、あるいは横につながっていくという感じです。

– いつもどれくらいのプロジェクトを並行させていらっしゃるのですか?

大きなものが2~3、そのほかスポット案件が1~2というくらいです。
案件によって拘束時間も仕事のやり方もまったく違います。

– 実際にこの働き方をされてみて、いかがですか。

心地よいですね、僕には合っていると思います。
正社員ですがフリーランス的で、複数の案件に関わることが出来て。

– 過去ご経験された案件で、特に印象に残ってらっしゃるものはありますか?

柏の葉キャンパスにおける、街づくりプロジェクトです。
今のスタンスでお仕事ができるようになったきっかけのプロジェクトでもあります。

[ 柏の葉スマートシティ ]

元々は当社の代表が三井不動産の大規模マンションの広告制作を長くやってきていて、そのご縁で、2006年、まちづくりのスタート時から参画させていただきました。

– 面白そうな案件ですね…!

最初は案件ごとの受発注だったんですが、数年後、住民がある程度増えてきた時期に、月額の業務委託でとにかく週の一定日数、街にいて欲しい、と言っていただきました。

日常的に色々な人と触れ合って、様々なプロジェクトに入りながら、気付いたことをどんどんやっていって欲しい、という、なんというか、実にありがたいお話で。

– きっと、企画やプロマネのスキルを評価されたんですね。

そうなんですかね。
そんな経緯の中で、時系列的には若干前後しますが、「TXアントレプレナーパートナーズ」という起業家支援組織、ネットを使ったコミュニティ放送局、街の未来像をお伝えするミュージアム、住民の健康づくりのための拠点施設などの立ち上げと運営などをお手伝いしてきました。

[ TXアントレプレナーパートナーズ ] [ 街の健康研究所 あ・し・た ]

– 本当に数珠繋ぎでお仕事が派生していきますね。

はい。
その延長で、今担当させていただいているKOIL、そしてベンチャー共創事業「31VENTURES」があります。

KOILは、ベンチャーやフリーランスなど様々な人々の活動を支援しながら、この街からイノベーティブな新産業を興そう、というプロジェクトです。

[ 柏の葉オープンイノベーション・ラボ – KOIL ]

KOILのオープンは5年前で、当時はまだコワーキングという言葉すらあまり浸透していませんでした。

5年以上前の時点で「これからは『オープン・イノベーション』と『デジタル・ファブリケーション』」という三井不動産とMITメディアラボの伊藤穣一さんやロフトワークさんで創られたコンセプトは素晴らしいものでした。

ただ、箱を創って利用者を集めただけではそれは実現しないだろうなと。

会員さんたちの活動をサポートして、会員さん同士、あるいは会員さんと街の人たちとを繋いでいく仕事が必要なのではないかと思い、事業主さんに「今の契約のままでいいから、追加のギャラは要らないから、やらせてほしい」とお願いしたんです。

– コミュニティ・マネージャーという職業、誕生の瞬間ですね!

そう言えるのかもしれないですね、そんな言葉も職業も知りませんでしたが(笑)
何からしていいのかわからなかったので、まずは私自身も会員になって、会員さんとお話しをして…

当時私はコミュニケーション・ディレクターという肩書を考えて使っていました。

会員さん同士の交流、会員さんと街の人々の交流、KOILと社会のコミュニケーション=施設としてのマーケティング、この3つの領域のコミュニケーションのディレクターという意味でした。

– 元々目指された仕事というよりは、ずっとされていたことが形になったのですね。

これまで

– 子供時代、学生時代。

僕、3月生まれなんです。
しかも成長が早い方ではなく、だから幼稚園の頃とかは、周りについていくのはとても大変だったみたいです。

ただ、ムダに正義感が強かったみたいで。
幼稚園の頃、小学生が友だちをいじめていたので食って掛かって。
逆にやられて、今でも頭にキズが残っていますが…(苦笑)

あと、小1のときかな?クラスの聾唖の子をみんながいじめてたんですよね。
僕には、それがよくわからなかった。

かわいそうな子なのに、あ、もちろん障がいのある方を「かわいそう」と思うのも違いますけど、当時の僕の素直な感覚では、「かわいそうな子をなんでいじめるんだろう」と。

今思えば、自分と違うものを気持ち悪いと思い、排除しようとする、子どもなりの本能的なものなんですかね。
あとはカースト的な…仮想優位なんですかね。

とにかく僕は理解できなかったので「かわいそうだろ!」とか怒ってたら、まぁ通常コースで、逆にいじめの対象になってしまって。

それは、実は大学生になって親に「あんたあの頃大変だったわね」と言われるまで忘れていたんですよ。
それくらいの精神的な傷になってしまったようで、そこから、人の顔色を窺う子になりました。

あんまり卑屈な子なんで先生がイライラしたらしく、「お前はなぜそんなに人の顔色を窺うのか」と、先生に殴られたこともありますよ(苦笑)

– 酷い…

ただ、実は、僕は今の仕事にはこの経験が活きたと思っているんです。

とにかくいつでも人が何を考えているのか、どんな感情でいるのかを無意識に観察しているので、人より心の機微を細かくつかむことが出来ているんじゃないかな、と思うことがあります。

そして、中学1年生で突然すごく背が伸びて、運動能力が開花して。
野球部に入って、陸上も水泳も学校代表になって、みたいな。

そしたら周りの目が…本当に、たった数か月で変わっていったんですよね。
なんだこれ、みたいな。

– 自分より強そうな相手に対しては、加虐性が働かないんですねぇ…うーん…

中学2年くらいから音楽に目覚めて、高校の合格祝いにギターを買ってもらいました。

その後はとにかく音楽、音楽ですね。
大学もほぼ行かずにずっとバンド活動をしていましたよ(笑)
コピーバンドではなく、作曲までして。

– 本格的ですね、楽しそう!バンドは長く続けられたのですか?

僕が幼稚園くらいのときに父が起業した広告代理店が成功して、中学2年の終わりに結構大きな家に引っ越したんですね。

父は苦労人だったので、子どもにお小遣いたくさんくれる、みたいなことは無かったんですが、やっぱり僕はどこか甘ったれたところが出来たんだと思います。

仕事をする、就職をするということにまじめに向き合うことができなくて、ミュージシャンとして食っていく、というほどの決意もないまま、このままバンド続けたいな~、くらいの気持ちで、大学卒業後も就職せずにバンド活動をしてたんです。

– あらら…

ただ、そうすると周囲の目もあるし、自責の念もあるし…
半年ちょっとで、自分がそんなことをしているということがストレスになって髪が抜けていくという状況になりまして…
それでバンドを辞めて、就職しました。

– お仕事は現在までどうつながるのでしょう。

最初に入ったのはテレビ・ラジオの枠を扱う広告代理店です。

その後、父の会社が経営危機に陥って、仕入れ部門に身内の人間が欲しいとなり入社したんですが、その父の会社が入社翌年に倒産してしまいました。

そのあと、ある広告関係の会社にお世話になるんですが、倒産処理に関する色々なことがあり、10年以上の間、半分潜っていたような…。
僕のキャリアにとっては暗黒時代ですね。

ただ、その間に1人で営業、企画、コピーライター、デザイナーなど全部やったり、テーブルくらいまでのHTMLは書けるくらいに黎明期のインターネットやパソコンについて独学で勉強したり、その後役立つインプットはたくさんしていました。

その後、倒産関係の処理も一段落して、自由に就職先選んでいいよ、ということになって、ずっと広告関係の仕事をしてきた中で一度クライアント側の景色を見てみたいと思い、大手不動産会社に就職し、大規模マンションのマーケティング担当をしました。

– おお、今につながりますね。

そうなんです。
先ほどお話しした通り、今クライアントの「中の人」に近い立場で仕事させていただいているのは、この時に「大企業社員」の立場を経験していたのも大きいと思っています。

– そこから、今の会社に至るまでは…

大企業も面白いと思いつつ、仕事内容に色々疑問を感じていたんですね。
そんなときに知り合いから「広告代理店でもコンサルでもない、新しいカタチの会社を創るからジョインしないか」と誘われまして、創立メンバーとして参加しました。
それが今のカイケツになる会社です。

– カイケツさんでは何年くらいやってらっしゃるのですか?

2005年設立なので…
もう14年くらいですね。

価値観


-いま、一番情熱を注いでいること。

うーん…やっぱり今の仕事ですね。
これ一般的な言葉なのか分からないんですが、うちの代表いわく、職業にはAポジションとBポジションがあると。

Aはスポーツ選手や芸術家、起業家など、自分自身で成果を出していく仕事。
Bはコンサルとかコーチとか、Aの人を助ける仕事。Aの結果が自分の成果。
どっちが良いということではないんですが、ただ、Bタイプの人が成功してAを目指すと大抵失敗する、みたいな話があって。
僕はBタイプなんだと思ってます。

-肌感的にはBの方が多い気がします。Aに見える起業家も、巡って誰かを救いたいという気持ちがドリブンだったりして、人のモチベーションは意外と貢献にあるのかもしれないですね。

そうですね。
先ほども言いましたが、僕はやりたいことがあるひとの目的を、かなえてあげたいんですよね。

それは大きさじゃなくて、小さいことから大きいことまで。
あ、今ノド渇いているのかな、飲み物持ってきてあげたいな、というレベルでも(笑)

-うーん、ドリーム・マネジメントの概念…。プライベートの方ですといかがですか?

音楽ですね!
どうして音楽が好きか…?
なんでなんだろうなぁ…

– 習い事で音楽をされていたとか?

確かに少しピアノはやっていましたが…
あ、そうですね、言われてみれば、親の影響が強いです!

父は子どもの頃からピアノが好きで、貧乏なときは紙に鍵盤を書いて、それで自己流で練習していたそうなんですよ。
ビジネスがうまくいくようになって、彼が最初に買った贅沢品がピアノだったんです。

小学生のころから週末には父がずっと独学の下手なピアノを弾いていて、それに合わせて歌わされたりしてましたね。
考えてみれば従兄弟も音楽好きな人ばかりだし、音楽好き一家ですね。

-身近だったんですね。自分を文字以外で表現する右脳的な活動は、音楽のほかにも絵だとか彫刻だとか、色々ありますが、やっぱり音楽なのですね。

そうですね。
もちろんクリエイティブなもの全般すべて興味ありますが、音楽が一番、人格の真ん中にあります。

複数の音がタテに重なっていて、それが時間という横軸で展開していって、ある感情を表していくのが、なんか奇跡のように感じるんですよね。

時間とともに変わって、順番に消えていってしまって、絶対に空間・時間に定着しない「音」が、美を心の中に定着させるという奇跡。

それから、どこか遠くで遥か昔に誰かが鳴らした音が、いま目の前で鳴らされる、というのも奇跡だし。
だって「再生」って考えてみればすごい言葉だと思いません?

– なるほど。

あと、情熱、ということではないのですが、最近強く気になっていることは、世代格差。

-特にどこで感じるのでしょうか。

情報の取り方と、コミュニケーションの手段。
最初はよくある話で自分の加齢のせいだと思っていたんです。

でも、ある仕事でデジタル・ネイティブとスマホ・ネイティブについて調査することがあって、その時に違和感が整理されていったんです。

社会状況として、情報の取り方とコミュニケーション手段がこの短期間でここまで変わったのが、恐らく歴史上初めてなんじゃないかと。
これは紀元前から言われている意味での高齢者と若者のギャップとは違うものだと。

– 新陳代謝が圧倒的に早くなっているので、年齢の問題以前に知っている文化そのものが違うということですね。

そう。文化とか、技術とかですよね。

今まではある時代を切り取って各世代をみれば、どの世代も基本的に同じ方法、技術でコミュニケーションしてたと思うんですよ。
近代ではずっと対面、手紙、電話。メディアは新聞、テレビ、ラジオ、雑誌。

でも今はものすごい勢いで変化が起こっているから、何歳か違うだけで使っているツール自体が違う、というようなことが起こっている。

「いちいち会議に呼ぶなよ、なんでおっさんはSlack使えないんだよ」
「この若造なんでこんな大事な連絡をLINEでしてくるのかなぁ」
「Facebookはおっさんばっかり」
というような。

これって「若者と老人が分かりあえないなんて、いつの時代もあったこと」というのとは別の話な気がしていて。

今はもはや、「会議のために集まるべきかどうか」という話でギャップが起こっている。
今までは無かったところにまでギャップが広がっているわけですよね。

– 年代もありますけれども、同世代であっても使っているコミュニケーションツールによって、交流が限られてきている感じもしますね。自分もそうですがLINEは見ない、とか、Slackは見てる、とか。

そうなんですよね。
それって、たとえば地域とか趣味のような「中身」ではなく、「手段」によってコミュニティが分かれてしまうっていうことですよね。

コミュニティ・マネジャーや街づくりという仕事においてはもちろん、ビジネスにおいてここに問題意識を持つのは大事な気がしていて。

– これはコミュニティ・マネジャーの悩みでもよく出てきますね。どのツールを使えばメンバの全員にリーチできるのか。どこにストックすれば全員が見るようになるのか。

僕もSlackだ、Facebookだと色々と使っていますよ。
おっさんなんで、ノイローゼになりそうですよ(笑)

そして一方で、最後は顔を合わせないと話を聞けないという人間も一定数いるのですよね。
そうなるともう、会いに行くやら、電話やら、紙を渡しに行くやらというという手段が結局アナログで発生する。

– オンライン・コミュニケーション・マネジメントの話題で、またトークショーができそうですね(笑)

課題は尽きないですからね…(苦笑)
本質的な話として、理系の人はテクノロジーを進化させて、どんどん「便利」なものを創っていく。
それは具体的なモノとして。

でも文系の、哲学とか宗教とか、生き方、価値観みたいな心の中の問題は紀元前から大して変わっていなくて、「このテクノロジーを使うと人は本当に幸せになれるのか」みたいなことはずっと置き去りになってるんじゃないかと思うんですよ。

その中で、Slack使うかどうかでストレスを感じる人たちをまとめてチームやコミュニティを運営していかなければならない。
その差分を、ごまかしごまかしどう埋めていくかが、ある種、コミュニティ・マネジャーの仕事の1つかもしれないですね。

– そうですね。そんな大須賀さんのおすすめのツールはありますか。

というわけで、ビジネスではあまりないかな…(苦笑)
メリットはよく理解できるし便利さを実感もしていますが、やっぱり元々デジタル・ネイティブ世代ではないから、「うひょーこのツール便利―!たのしい!」みたいにはならないですね。

新しいツールよりも、今あるどれかがデファクト・スタンダードになってくれたら楽なのになぁって思います(笑)。

– ビジネス以外ではいかがですか?

音楽関係で最近楽しいのはこれです!

[ YAMAHA – コードトラッカー ]

デバイスに入っている曲をこのアプリで再生すると、コード進行が出てくるんですよ!
みんなで集まって「この曲歌おうよ」みたいな時とか、複雑な進行の曲をコピーする手がかりにするのにすごく便利です。

– おお、これはすごい…!Jazzの即興にも使えそうです。

これから

– 今年やりたいこと。

基本的に目標とかを言語化しない、って決めてはいるんですが…
そうですね、あと何年仕事するのだろうというところまできたからこそ、これからリタイヤするまで、そして死ぬまでの間のイメージの醸成をしていけたらと思いますね。

今まではそれはずいぶん先の話だと思っていたし、怖いこと考えると怖くなっちゃうから、考えないようにしていたんですけどね(笑)

– そうなのですね。これまで、死が身近になかった、ですかね。

思春期の頃にはなかったですね。
大人になってからはかなりつらい死別が何回かありましたが…

死ぬってどういうことかが呑み込めないまま、今に至ってますね。
でも、年齢的にそろそろきちんと向き合って準備しないとな、と思います。

– 大須賀さんにとって、仕事とはなんでしょう。

先ほど言った暗黒時代、僕にとってそれは生きていくために必要なお金をもらうものでしかなかったですね。

こういう仕事がしたいとか、仕事を通じてこういう自己実現がしたいとか、世界を変えたいとか、そんな風に考えたことは一度も無かったんですよ。

ただただ、お金のためにやらないといけないものだった。
他でお金をもらえるのだったら、仕事なんかしなかったと思います。

それが今の仕事をやり始めて変わったんですよ
最初は、仕事をうまくやるためのテクニックでした。

街づくりとかで住民やフリーランスと付き合うと、彼らは仕事と人生を分けてないから、それを分けて「お仕事」として接してくる人とは一線を引くんですよね。

例の、顔色を伺う能力でそれを察したので(笑)、この仕事でお金を貰うなら「本当の自分」で仕事しないとダメだと思った。

それで、意識的に素の自分を出して、自分の全部で仕事をするようになってから、楽しくなってきたし、結果も出せるようになってきたという感覚があります。

– 今は、好きになった?

はい、本当に好きになった。

– では、まさにこの質問かなぁ。いま、5億円もらったらどうしますか。

以前冗談で言ってたのは、三井不動産からKOILを買う、っていうのがあって。

– あははは、これ書いていいんですかね(笑)

どうかな(笑)まずいですね(笑)
今なら、自分でコワーキングスペースを創りたいですね。
レコードを聴ける飲食店、ロックカフェとかロックバーみたいなものを併設します。
コワーキング施設って、飲食店を併設している方が絶対いいんですよ。

ただ、これだけで儲けていくのはなかなかキビシイのはわかっているから、だから、5億円もらったら、それをやりたいかな。

– そこからどんな価値が生まれるのでしょうね。

いやもう、そこで生まれる価値には、僕はもう、確信を持っていますよ。
事業としての金銭価値は大して生まれないでしょうけど。

そこで活動する人の笑顔の数や質だったり。
繋がっていく関係性の豊かさだったり。

世界の全ての人へ、だなんて、望まない。
たった一人でも、これに出会って人生が変わったと、そういう人がいたら、もうそれでいいと思えますね。

– いつか叶うと良いですね。ありがとうございました。

終えてみて

大須賀さん

面白かったです!
普段は僕がインタビューやファシリテーションをする側なので、こんなに自分のことばかり話していいのかとそわそわし続けてしまいました(笑)
飲み会でこんなに自分のこと話したら絶対嫌われるもんね(笑)

Nocchi

私も面白かったです!(笑)
コミュマネという概念が存在しない時代から、それは今までも必要とされていて…
マーケティング理論で「顧客は自分の欲しいものを、目の前で出されるまでわからない」というのがありますが、コミュマネとは、それをコミュニティとしてアーキテクトする人なのだと思いました。

Profile

大須賀芳宏 / Yoshihiro Oosuka
広告代理店、大手デベロッパー広告担当を経て、2005年、株式会社インターストラテジー(現社名・株式会社カイケツ)設立に参画。
主要な業務領域は、マーケティング、ライティング、およびコミュニティ形成の観点から組織・プロジェクトとユーザー・社会とのコミュニケーションを円滑にすること。
2006年より柏の葉のまちづくりに参加し、TXアントレプレナーパートナーズ、柏の葉スマートシティミュージアム等の設立・運営をサポート。
31VENTURES KOIL(柏の葉オープンイノベーションラボ)においては企画段階から参画し、運営企画、マーケティングおよび会員コミュニティの活性化を担当。