※内容は2019年3月時点のものです
鶏口となるも牛後となるなかれ。
プロ人材のマッチングサービスで起業されて5年目の大澤さん。
雇用形態で選択肢が狭まれることなく、能力がある人が、その時々で、必要な場面で力を発揮できる社会を目指しています。
プロ人材の働き方の実態や、シリアルアントレプレナーとしての大澤さんの生き方そのものも、とても勉強になるお話です。
いま
– いまされていることを教えてください。
プロ人材のシェアリングサービス、CARRY MEを運営しています。
会社としてはPiece to Peaceという名前です。
案件としては、週2-3の出社で業務委託、月20-30万円くらいのイメージ。
もちろん人によって報酬は違いますし、過去の最高額だと週2回で月70万円の報酬額となった方もいらっしゃいましたね。
プロジェクトの長さとしては6ヶ月契約で自動更新が中心。
みなさま優秀なので、契約更新が行われるのは8割くらいで、2割は何らかの事情があったなどが多く、能力が高く評価されていらっしゃいます。
– どういった方が活躍されていらっしゃるのでしょう。
大きく3つです。
フリーランス。
子育て中のキャリアウーマン。
起業家。
副業社員だと日中が動けないことが多いため、なかなか稼働は難しいですね。
登録される方はいますが、稼働ベースですとやはりこの3パターン。
案件としてはIT系スタートアップが多いですが、最近は上場企業も増えてきました。
– 職種としてはどういったものが多いのでしょう。
これまでの社会では、リモートのプロ人材というとほとんどがエンジニアか顧問業でした。
うちでは文系フリーランスの活躍を支援しています。
職種でいうと、マーケッターが5割。
マーケッターとは広報、Webマーケ、マーケティング戦略の3つです。
法人営業、たとえばテレアポを実行できるプロや営業戦略のプロなどもいます。
– そうなのですね!文系フリーランスは私も増やしたいと考えていて。
なかなか従来なかった価値観ですからね。
格安ライターみたいな話ではなく、正社員ではなく、優秀な方にスポットでもいいので入っていただくのが当たり前な世界観になっていってほしいと思っています。
– 実際に事業を始めてみていかがですか。
非常に手応えを感じています。
とはいえ、こういったマッチング事業ですと、ずるい会社というのは、やっぱりあって。
弊社への手数料を支払わず、直で契約しようとする動きはどうしてもあります。
肌感で、1割はいる感じですね。
契約、規約で禁止してはいるのですけれどね。
– ランサーズプロや、サーキュレーションさんのNOMAD案件も近そうですね。御社の特徴としては、どういったところになるのでしょう。
やはり、案件数が多いというところかなと。
フリーランスの一番の懸念は、稼働が空いてしまうところなので。
もちろん、サポート策としてイベントでのノウハウ共有などもしておりますが、根幹としては、やはりそこが強みかと。
– 登録者数はどれくらいなのですか?
個人登録は4,000人ですね。
– おお、すごい!文系フリーランスは増えて行くと思いますか。
本来はそこをクラウドソーシングが開拓しようとされていたのかなと。
現在は結果的に安かろう悪かろうという環境になってきつつありますが、その単価を上げていきたいという気持ちです。
– これを始められた動機はなんだったのでしょう。
実は、最初は違うサービスをやっていたんです。
C2Cのスキルマッチングサイトをやっていたんですね。
そうしたら、教える側が、いまのユーザ層と同じだったんです。
彼らのニーズを聞けば、稼働を埋めたいというところにある。
だったらC2Bでマッチングしてあげたほうがいいなと。
– フリーランスを選ぼうとする人たちに共通することはありますか?
優秀であることは前提として、とても自立していることですね。
そしてコミュニケーション能力がとても高い。
LINEだろうかchatworkだろうが、なんでも使う。
週1,2回の出社で、残り在宅やリモートというパターンも多いのですが、ツールを駆使してリモート感を全く感じさせないんです。
– 即レスは基本ですからね。フリーランスは日本ではまだ正社員よりも安定感に不安がありますが、この働き方の人たちを守るため、今後必要なものはなんだと思われますか。
一番は企業側の理解だと思いますね。
まずは、正社員主義をなくすことです。
正社員と業務委託の間における差別のようなものをとても感じる。
– もうまさに、仰る通りだと思います。彼らの行為は、忠誠心度による選別に等しい。
そう、彼らは根本的に、側にいて、時間を割いてくれる人を求めている。
能力評価なんかじゃないんです。
優秀な人ほどすぐ仕事が終わり、離れていてもパフォーマンスを出せるので、彼らのモチベーションはそんな環境ではとてもモチベートされません。
やがてそういう会社は、淘汰されるのかもしれませんけれどね。
うちでは、業務委託で働いている人に、役職をつけることもありますよ。
– なんと素晴らしい!大企業の意識がここまで来るのに、あと何年かかるのだろうかと思うと…少しでも早くこの世界を体現したいです。
これまで
– 子供時代、学生時代。
今思うと、自立していましたね。
父親への反発というのがあって、彼は正社員、終身雇用主義だった。
僕は高校が付属のエスカレータだったのですが、かならず道を外すなという言い方で。
違和感がある中で、大学時代に、反旗を翻して、留学を決意しました(笑)
– 素晴らしいですね。
思えばこれが最初の資金調達だと思いますが…
留学は父からの猛反対を受け、1円も融資もしてもらえなかったので、自分で高額のアルバイトで稼いだ金額と、不足分は祖父母や兄からお金を借りて留学したんですね。
– ご両親以外からは賛同を勝ち取ったのですね!よかった。
はい。
父からは、捨て台詞のように、お前は大企業に絶対入れないと言われた。
むしろ、絶対に勝ち取ってやると思って…
日本で典型的な大企業、誰しもが行きたがる優良企業ってどこだろう…と考えて、三菱商事の内定を勝ち取りました。
– 素晴らしい!結果で見せていくのが一番ですからね。
話が前後しますが、実はそれより幼少期は、アメリカで育ちましてね。
だから日本らしい思考ではあまりなかったのかもしれません。
逆に日本語をあまり習得できていなかったので、なかなか周囲とコミュニケーションを取りにくいところもあって…
これもどうかと思いますが、知育障害の疑いを持たれるなどしましたが…、
少しずつキャッチアップしていきました。
– 習い事はされていました?
当時は絵がうまかったので、絵画教室に通っていました。
小学校1-2年生の頃ですね。
– 絵画教室!珍しい、ような。今でも描かれますか?
いや、受験勉強をしだすと、なかなか描けなくなっていきましてね。
才能が失われて行くのを感じました。
もしかしたら画家にいく道もあったのかもしれませんけどね。
– そうなのですね。就職されてからは、どのような。
商社は面白かったです。
アフリカのODAをやって、タンザニアに駐在したり。
想像通りで大変なところではあるのですが、優秀な人も多くて学ぶことは多かったです。
一方で商社というのは体育会系でして、上下関係が今では考えられないくらい厳しいんですね。
さらに、馬車馬のように働かせる中で、モチベーションは何かというと、昇進、年収、ブランドという「人参をぶら下げられている?」という感じでした。
すごく違和感がありました。
– 私の前職も同じですね〜…大手ならではの面白い仕事というのはあるのでしょうけれどね。
はい、とはいえ階段も多いし、無茶苦茶な人事もありますしね。
そしてその頃、90-00年代ですね。インターネットブームが到来した。
AmazonやYahoo!が身近になってきた。
一番最初にそれを知ったのは94-95年のアメリカ留学の時。
98年にはそれを現実に感じたので、よし、起業しようと思った。
– 潮流を掴んでから行動に移されるのが、割と早いですね。
そうなんですかね。
ただ、商社3年という経歴ではどうしようもないと思った。
そこで、慶応のビジネススクールに行くことにしました。
昼は学校、夜の時間に仕事をしていました。
他にそんなことをしている人はいませんでしたけどね。
その時に作っていた事業を売却できたのは大きかったです。
証券会社の比較サイトを作っていたんです。
当時はアフィリエイトという言葉もまだ浸透していなかった時代。
他に似たようなサイトはなかったのでPVは伸びていたものの、収益化に困っていました。
– 広告や送客が簡単でなさそうですものね。SEOツールも少なさそう。
そこでバイアウトを考えた。
VCに持って行ったら、6,000万円投資してあげるといわれたものの、どうかなぁと思って…。
僕と同じことをしているアメリカの会社、ゴメスにメールをしまくって…
何回メールしたんだろう、6回目くらいで返事をくれたのかな。
もうスパムみたいなもんだったと思いますよ(笑)
そして、そのサイトは3,500万円で売れました。
– おお〜。
ビジネススクールは2年間で400万円。
それで3,500万円入ってきた。
給料としてはまぁまぁかなという感じですね。
経験値もできたし。
– 外資転職でよくある話ですが、翌年の税金が大変そうですね…
あ、会社売却ではなくて事業売却にしたんですよ。
なので、その資金を持ってまた新しい事業を始めた。
– 何を始められたのでしょう。
ECです!
中国から茶葉を仕入れて、トリビアをつけて、売るということをしてみた。
仕入れ日記のようなブログを書いていました。
3-4年経って、売上も利益も出てきた頃、それを一生やるのかというと、やろうとは思えなくて。
結局、サイバーエージェントに売却しました。
– CAがお茶のECですか。
彼らは、当時、広告代理店しかやっていなかった。
新しいことをしなければならない。
けれど失敗はしたくない。
であれば、黒字の出ている事業を買ってしまおうと。
1.1億円で売りました。
– バイアウトのバリュエーションがちゃんと育っていっていますね〜。会社としてやっていたのですか?
私を含めて3人でやっていました。
だから固定費はかかっていましたよ。
– なるほど、であれば、やはり億はつけたいですよね。その後はどうされたのですか。
みんなから不思議がられるのですが、そのあと、シリアルアントレしなかったんです。
もう一度経営を学ぼうと思った。
VCや経営コンサルも考えたのですが、ベンチャー・キャピタルはベンチャー相手だし、マッキンゼーやボスコンは大手ばかりが相手でしょう。
どこか中間がやりたかった。
そこでドリーム・インキュベータというところへ行きました。
– DIでの案件はどのようなものを?
大手商社の戦略コンサル。アジア拠点をどこに置くべきかとかですね。
あとは大手コンビニチェーンや大手印刷会社とかですね。
– だいたい想像がつきます(笑)
スタートアップ側は、2004-2005年にケータイ小説のサービスがあって、そこだとか。
中古PCの販売事業ですとか、いわゆるIT系でしたね。
– 懐かしい、ガラケー時代ですね〜。その後は。
中国茶葉ECをやっていた頃に知り合った土屋鞄の社長から相談を受けまして…
彼から取締役兼COOというポジション、高い年収、株式という3点セットを餌に(笑)、一緒に仕事をやらないかと誘われてそちらへ。
ドリームインキュベータには、社長が7年はいなさいと言っていて、当初はいようかと思っていたのですがね。
もういいかなと思って、2年半くらいで出ました(笑)
– 新しい先で学ぼうと思ったことは。
3つです。
上場の経験。
海外進出。
マネジメントの経験。
蓋を開けてみると、上場はやめてしまったんですけどね。
マネジメントの経験だけはできました(笑)
入社当時は20人程度でしたが、僕が辞める頃には75人程度になっていました。
– そのあと、現在の会社を起業、ですかね。
はい、2009年に今のPiece to Pieceという会社を作りました。
小さな個人の想い(Piece)が集まると、大きな社会的な何か(Peace)につなげることができる、という意味をこめています。
これは当初5年くらい結構苦戦しましてね。
事業もピボットしながら、今のCARRY MEに育ちました。
投資したい、あるいや買収したい、というお声も頂いているので嬉しい限りです。
– 昔の自分に言いたいこと。
僕自身は後悔というのがなくて。
やりたいことはやってきたつもりです。
一番つらかったのは、むしろ今の会社の初期から中盤にかけて、ですね。
これだけ過去の創業や、Exit、経営コンサルなどの経験があればすぐうまく行くと信じていたけど、苦戦して(苦笑)
この慢心は自分自身に対する反省としてあります。
価値観
– 今、一番情熱を注いでいること。
CARRY MEを成長させることですね。
少しずつ堅調に推移しているものの、まだまだ東京に限りますしね。
地方人材のマッチングというのもできればと思っています。
働き方改革というよりも、公平な社会の創造だと思うのですよ。
日本というのは大企業に人がたまる構造になっているので…
– わかります。
いまCARRY MEに登録している皆さまも、大企業向けの学歴ということではなくても、すごく努力されてスキルを積めば、その時のスキルに応じて高い報酬を得られる。
– では、作りたい世界観としては、公平な世界?
公平もそうなのですが、逆転が可能なことですね。
大学が失敗すると人生もう詰んだ、ということを、やりなおせる。
何度でも、リトライできる。
– 伸びる人材の決め手はありますか。
向上心。
あとは、スキルの選び方ですね。
– というと?
不得意なものや、市場ニーズがないスキルに向かって時間をかけてしまうタイプがいるのです。
例えば、最後に欲しい仕事がわかっていなくても、とりあえずTOEICの勉強を始めるというパターン。
3年間頑張ってTOEIC900をとって、じゃあどんな仕事があるのという話で。
そりゃあ出来る仕事は3年前より拡大しているとはいますが、実務経験があるわけでもないですしね。
資格ゲッターというのですかね。
特に自分が好きなものではないものに時間をかけてしまうタイプはつらそう。
– 備えるべきスキルは、どのように選ぶことが大事なのでしょう。
まず需要。
そして得意技をぶつけていくこと。
– 需要は、どこで見つけられるのでしょうか。
まずはサイトに登録したり、検索するところからですかね…
ただ、他にもあるような気はしていまして。
ひとつは本をたくさん読むこと。
今後社会がどうなるかを読み解き、必要なスキルを逆算していくことです。
フリーランスというのは自分の時間をどう投資していくかがすごく重要なので、そこをしっかり見極めてほしい。
– なるほど。ご自身は、仕事から離れてやってらっしゃることはありますか?
今の時代、会社がいつ潰れてもおかしくないので、遊ぶ時間なり全てを削ってても、仕事をしないとなと思っています。
– なるほど。時短も必要かと思いますが、おすすめのツールは。
特にこれといって使っているものはないですかね…
よくつかうのはFacebookとchatwork。
グループに分かれていて、メールよりも使いやすいです。
Slackは使ったことがないですが、使うならばchatworkとどちらかなのかなと思います。
取引先ともみんなmessengerをしています。
もうメールには戻れないですね(苦笑)
これから
– 今年やりたいこと。
資金調達をしたいですね。
融資は確定しているので、投資。
それをもって、事業をしっかり成長させたいです。
– いま5億円もらったらどうしますか。
5億円で買いたいという会社はあったんですけどね(笑)
大手のPR会社なのですが…
そのときになにをするんだろうとは思ったのです。
ただ、多分また会社をつくるのではないかな、と。
– そうなのですね。新しく事業をするとしたら何をされたいですか?
ちょっと前までは、OB会ネットワークみたいのを作りたかったんです。
企業横断のアルムナイとでもいうのでしょうか。
日本は出戻り文化がないのでこれも今の事業とつなげて実現したら面白い、と思っていた。
まぁ、やっている会社がでてきて、ドリームインキュベータが投資をしたので知ったのですけれどね笑
[ ハッカズーク – Official Alumni ]– おお、こういうのがあるのですね…これからの働き方はどうなると思いますか。
ものすごく多様化すると思います。
人によって違うので、正社員がいいひともいるのですが、優秀かつ好奇心の強い人こそフリーランスになったほうがいいでしょう。
そういう人に案件がちゃんと集まってくる世界になると思います。
– そうあって欲しいです。これからの日本。
日本というのは、多様化の逆行何ですね。
メディアがこうといったらそっちに偏る。
勝ち組、負け組だとかを作りたがる。
そういう文化が根底にあるので、あまりポジティブな感じはしないですけどね。
影響が大きいのは人口が減っていくことですね。
だから移民を受け入れることには僕は賛成です。
– 日本を救う手立てとしては何が考えられますか。ある意味CARRY MEもその一つですね。
根本的には教育なのでしょうね。
自分で考える人が少なすぎる。
そもそも課題はなんだと思うかなどを考えないといけない。
新しいものを作るか、海外に出ていかなければならない。
だからこそゼロイチができる人が増えなければね。
– 素晴らしいですね。startup weekend Tokyo Workstyleでも審査員をしていただきますが、ぜひゼロイチで働き方を変えるサービスが出てくると良いですね。
はい、とても楽しみにしています。
よろしくお願いいたします。
終えてみて
大澤さん
インタビューを受けることはちょいちょいあるのですが、頭の中が整理されるのでいいですね。
僕が伝えていきたいメッセージ。今やっていることなどがスッキリしました。
楽しかったです、ありがとうございます。
Nocchi
普段思っている評価制度の歪みを、言葉にして伝えてくださったので、改めて理解できました。
正社員制度の瓦解と、フリーランスの普及、能力主義。
目指す世界は同じです。引き続きよろしくお願いいたします。
Profile
大澤 亮 / Ryo Osawa
株式会社Piece to Peace 創業者 / プロ人材マッチングCARRY ME立上げ
5度の事業立ち上げを経験し、過去に2度事業売却したシリアルアントレプレナー。
新卒で三菱商事株式会社に入社、タンザニア駐在経験(ODA担当)を経て、帰国。同社退職後、1999年に慶應義塾大学大学院(経営管理研究科修士課程)に入学と同時に起業、2度売却。
(証券会社の比較サイトを創業し米国Gomez社に売却、EC事業を設立しサイバーエージェント社に売却)
その後、株式会社ドリームインキュベータに入社し、大手企業とベンチャー企業両方の経営コンサルティング、ベンチャー企業投資も担当。
同社退職後、土屋鞄製造所に取締役兼C.O.O.として入社し、2年で売上20億円から45億円、経常利益も2倍以上にして退職。
2009年 株式会社Piece to Peaceを創業、2016年には、週2、3回で業務委託契約で働くプロ人材(マーケッター中心)と、採用に苦戦する成長企業のマッチングプラットフォーム「CARRY ME」を立ち上げ、1年で黒字化達成。
2019年2月現在、3800人の登録者と550社の取引先。
著書 「世界をよくする仕事で稼ぐ」 (プレジデント社より出版)。
アカデミーヒルズ(六本木)、トーマツイノベーション等での講演多数。