※内容は、2018年12月時点ものです。
自ら機会を作り、その機会をもって自らを変えよ
パーソルキャリア株式会社で他人に目標をたててもらうワークショップ「タニモク」や“未来を変える”プロジェクト」を担当されている三石原士さん。
日本の働き方を変える中核にいる彼と、これからの働き方についてお話させていただきました。
いま
– 三石さんのお仕事について教えてください。
三石 原士(みついし もとし)です。
パーソルキャリア株式会社 (旧・株式会社インテリジェンス)で、“未来を変える”プロジェクト編集長と、「タニモク」のプロジェクト・リーダーをしています。
-“未来を変える”プロジェクト、好きです!ご紹介いただけますでしょうか。
はい。
パーソルキャリアの中で、これからの“はたらく”をテーマに情報発信する、コーポレートメディアとして行っているプロジェクトです。
メディア運営であったり、ワークショップをやったり。
メディアでは、複業とキャリア、社内出世vs社会出世など、時代の変わり目に立つ我々世代に向けたテーマで記事を出しています。
– ワークショップの方はいかがでしょうか。
人気なのは、他人に目標をたててもらうワークショップ、通称「タニモク」ですね。
4人集めれば、誰でも簡単に始めることができます。
新しい年の目標や期の目標をたてるときにぜひお試しください。
「タニモク」の概要を簡単に説明すると、利害関係がなくなるべく初対面の4人で1組になり、まず目標をたててもらう主人公が現状について説明をします。
そして他の3人は”私がもしxxxさんだったら、これからこうする”という目標をたてる。
主人公は自身の目標をプロデュースしてもらえるんです。
– 私も何度か参加させていただきましたが、とても興味深いですね。
面白いですよね。
他人に今の状況や悩みを説明することで内省にもつながるし、他者評価も入る。
自分にはなかった視点でフィードバックも得られる。
ただ、新しい切り口を得て行動が変わり習慣が変わったという方もいれば、普段から内省をすることに慣れていない方や、そもそも働くことに対して向上心を持てない人同士だと、「タニモク」を体験しても効果を得られないという人もいるのですよ。
僕は誰もが働くことにポジティブに向き合えるようになってほしいから、これからの“はたらく”を“未来を変える”プロジェクトで発信し続けたいし、「タニモク」をもっと改善していきたいですね。
余談ですけど、1月17日(木)に“「タニモク」100人会”を開催し、大盛況でした。
今後も「タニモク」を定期開催していく、ぜひお越しいただければと思います。
– 多くの方の人生に影響を与えていきそうですね。
これまで
-三石さんご自身は、どういうご経歴なのですか。
都会出身によく思われるんですが、僕はすごい田舎の出身なんです。
コンビニひとつない長野の山奥で、庄屋の分家だった。
父親は国家公務員で今税理士をしている、いわゆる固い家系です。
大学卒業後は先生の紹介もあって、思い切ってドイツで就職することに決めて海外に出ました。
初海外(苦笑)
若者らしい野心のようなものもあって、怖いモノなし。
俺もやってやるぞ!的な(笑)
若いうちは失敗も出来ますしね。
– そうなのですね!1社目はどんな会社に入られたのですか。
1社目は、ドイツのブレーメンにある設計事務所。
僕はCADが使えたので、プレゼンテーション資料等をつくっていました。
フォトショップで設計図にテクスチャを載せてわかりやすくしたり。
ただ、渡独した当時はドイツ語が話せなくて、事務所のボスにとても怒られて…
実は、初海外ということもあって、ドイツに行ってすぐにノイローゼになってしまったんです。
当時のボスが、怒りつつもそんな僕をすごく気遣ってくれて…
彼の息子がベルリンに住んでいるから、息抜きがてら遊びに行っておいでと1週間の休みをくれました。
ドイツの滞在は1年半くらいでしたが、このうちの半年はドイツ語を学ぶのに費やしています。
ベルリンからブレーメンに戻ると、ボスが人づてでブレーメンに住んでいる日本人を見つけてくれたり、家とか語学学校を紹介してくれたりして、それでも頑張れるなら採用してやるぞと言ってくれて…
ただ半年勉強してドイツ語がまともに話せなかったら日本に帰れ、とも言われた(苦笑)
そこで決心して残って頑張ることにした。
追い詰められた環境で勉強したので、ドイツ語も半年で話せるようになりました。
ドイツには、ZMP(ゲーテドイツ語C1検定試験)という、ドイツ語検定のような制度があるのですが、僕は半年で大学入学レベルの基準までいけました。
[ ZMP(ゲーテドイツ語C1検定試験) ]– 大変だったのでしょうね。ドイツ語学校はいかがでしたか?
最初はクラスメイトとのレベル感や意識の差があって大変でした。
僕のように自腹で語学学校に通う人はほとんどいなくて、多くは会社や国のお金で渡航し、博士号を取って帰ろうという気概のある人たちばかり。
母国語が英語やスペイン語なので、彼らの方が習得が早い。
必死に頑張らないと、クラスメイトについていけなかった。
ただ幸いだったのが、ブレーメンの大学には「日本経済学科」というものがあり、日本経済や日本語を勉強しているドイツ人学生が多かったんです。
語学学校からの紹介もあり日本に興味を持っていたドイツ人と友達になれて。
そのおかげで語学だけでなく、ドイツの若者文化もキャッチアップすることができました。
– いい思い出もあったのですね。ドイツはお好きですか?
好きですよ。真面目、合理的な国。
ただ食事は単調で、ウインナーとビールばっかりだったけど(笑)
日本人の女性がドイツに行くときは気をつけないと。
すぐ太っちゃいますよ。チーズが美味しいので。
– いいですね(笑)。2社目はどうされたのですか?
はい、ドイツの生活をすごく謳歌したんですが、ここで労働ビザが切れまして。
日本に帰ることになりました。
帰国してどんな職につけるか探す必要が出てきて。
僕が使える技能を活かせるところで、株式会社リクルートメディアコミュニケーションズ(現・株式会社リクルートコミュニケーションズ)に入社することになりました。
ここは、リクルートグループの求人広告を作る会社ですね。
当時、求人系の事業では、ちょうど入稿が紙からシステムへ移行しようとしている時期で。
CADやAdobeのソフトを使えたのが、システム完結型入稿にちょうどマッチングしました。
-ここで人材系の色がついたんですね。
そうですね。
2003年頃、システム完結型へ移行する前の求人広告は、営業担当が求人を受注してくると、紙の印刷物にペンでアカ入れをして貼り付けて制作の部門にFAXして送るという文化で。
信じられないでしょう(笑)
制作部門の受付は、営業から届いたFAXの内容を電話で営業に確認していました。
手が空いた制作から適当に引き取っていくというアナログの世界でした。
だから、適切に仕事の配分ができないという課題がありました。
イレギュラーの発注が届いたときには、制作のフロアに「こんな仕事あるけど、今やれる人、挙手」と声をかけて手を挙げてもらう、みたいな(笑)
余力を見える化して把握できたら適切に受けられる仕事を判断できるし、仕事量も増えて、生産性が上がるのでしょうけれどね。
-かなり目算ですね…(汗)
ですね(笑)
だから、人材余力配分の可視化が求められていて、業務改善のプロジェクトをやることになったのです。
この業務改善を現場で経験できた自分は、運がいいと思っています。
リクルートは、マニュアルも工程もとても仕組み化されていて、よかった。
どんな人が入社してきても業務が回るようにすることが業務改善。
学びもたくさんあったんだけど、ルーティン化した業務ではない、新しいことをやりたいなと思う時期がきて。
転職目的でインテリジェンスに登録していたのですが、このとき、まさにインテリジェンス本体から声がけをいただいて(笑)
-当時の転職はどういう軸で行われていたのですか?
当時の軸は定まってなかったですよ。
ゲーム会社とか受けてましたからね(笑)
– そうなのですね。そして3社目がインテリジェンスと。
そうですね。
今はパーソルキャリア株式会社という社名になっています。
当時、転職サイト(現doda)の制作部門の立ち上げで入社して、必死に取材して、求人広告を作り続けていました。
ここで幸いだったのが、インテリジェンスが元々人材紹介というサービスを提供していたこと。
立ち上がり間もない転職サイトでしたが、取材先は大手ばかり。
だから大企業の現場トップと話す機会がたくさんあって、これがもうすごく勉強になりました。
-印象に残ってる会社はありますか。
大手製薬会社(ノバルティス ファーマ株式会社)の案件はすごく印象に残っています。
新薬の上市があり、事業拡大期。
このときの人事のトップが、別の会社に転職されていて。
それで当時の話をしたら、僕がつくった求人広告をよく覚えていてくださったんです。
あと、すごく勉強になったのが株式会社ファーストリテイリング。
ちょうど代表が柳井さんに変わる頃で、売上1兆円を宣言した時期でした。
リブランディングのタイミングでクリエイティブディレクターの佐藤可士和さんが入って変わり始めた頃。
ここの対面は、人事リーダーの方でした。
要求が高くて、よく詰められましたよ。担当を変えてって。(苦笑)
営業も盾になってくれたりしましたが、厳しい要求に必死に取り組みました。
僕以外の人にはこの会社の制作担当はできないという自負もありました。
そんな困難もありながら、転職サイトが急速に立ち上がっていきました。
僕はその初期メンバーでした。
入社当時はインテリジェンスがJASDAQへ上場していたことから、社内外に新規事業の内容が公開されていなくて。
入社時に新規事業の制作部担当という話しが社内でできなかったので、表向きにはアルバイト求人広告の制作ということになっていました。
それと情報が漏れないように副社長室に監禁状態で仕事をしていました(笑)
– 大変ですね!手がけられた案件はどのような。
忘れもしないです。
僕は主に、製薬/医療機器領域、いわゆるメディカル業界の担当だったのですが、最初の取材はオンコロジー領域(※がん領域)に強みを持つ大手製薬会社の部長でした。
いやぁ、入社当時、製薬/医療機器分野をそもそも知らないので、必死で勉強しましたよね(笑)
その次は世界最大の医療機器メーカーに行ったり。
国内外の製薬会社、医療機器メーカーTOP20に入る企業はほとんど担当したんじゃないかな。
– そのまま、今の“未来を変える”プロジェクトへ異動になったのですか?
いや、“未来を変える”プロジェクトが立ち上がるのはその先です。
制作部門からマーケティング部門に異動したあとに立ち上げました。
当時、広告経由でのユーザーへのリーチが高騰していたため、広告以外のアプローチが必要になっていました。
そのひとつとして起案されたのが、オウンドメディアでした。
そして、年収が高めでキャリア志向が高い企業所属のマネジャー以上の方をターゲットにしたメディアとコミュニティ“未来を変える”プロジェクトが、立ち上がったという経緯です。
– “未来を変える”プロジェクトはどのように発展したのですか。
実は、インテリジェンス時代からやっているのですよ。
現在、3年半ほど運用しています。
改めて“未来を変える”プロジェクトが発足した背景をお話します。
僕が社内の新規事業のコンテストで起案していたのが「将来の経営人材を集めて、未来をディスカッションし、コミュニティを作る」というもの。
事業のシーズを育む仕組みをつくれないかと起案しました。
起業や事業が立ち上がったら、必ず組織、採用などの人材に関わる課題が出てきます。
その時に既存の人材サービスとの連携ができればいいなと。
-おお、そこで形に!?
いや、結果として採用されなかったんですよ。
で、頭にきてね(笑)
違う形で何かできないかなって。
– Startup Weekendでも、1位を取れない方がやる気が継続したりしますからね…
悔しかったし、自問自答もした。
僕は、何をやりたいんだろうと。
なぜこれなんだと。
そこで出てきたのは、優秀な人たちの元気のない顔。
世の中に能力のある人は、たくさんいる。
それを転職サイト時代によく取材していて知っていました。
でも、なぜそんな人たちがたくさんいるのに、日本は元気がないのだろう。
満員電車での鬱々とした空気。
ああ、そうか、彼らは”働き方”を知らないんだ。
働き方を知る機会が増えれば、働くを変える後押しができるかもしれないって。
それは当時、起業や新規事業を後押しするプランの原点でもあった。
それが“未来を変える”プロジェクトを立ち上げるキッカケになりました。
あとは先ほど話をしたマーケティングの課題と合致し、オウンドメディアが立ち上がることになりました。
-“未来を変える”プロジェクトという名前はいつからあったのですか。
僕が名付けたわけじゃないんですよ。
前から存在した。
当時、メディアとして停滞していたので、上長に起案し、「僕を担当にしてください」と直訴しました。
そして、フィジビリティの機会を得て、イベントを起案し、記事も制作。
イベント参加者の協力もあり、SNSで拡散し、1記事で5万PVになりました!
そういう実績をつくったことで、三石にやらせようということでオウンドメディアの担当になることができました。
そして、2015年の6月にリニューアルをし、3年半運営し続けています。
メディアとイベントコミュニティのおかげでネットワークも広がり、仕事の幅も広がり続けました。
結果、2018年12月当時、4グループを掛け持ちという状態に。
今は広報が主務という形で収まっています。
– 三石さんに広報の印象がありませんでした。
そうですよね。
僕がやっているのは、これからの“はたらく”を伝えること。
パーソルキャリアという会社が転職やアルバイトだけでなく、働くこと自体をサポートしているHRサービス会社だと広めること。
企業のイメージをつくり、企業価値をあげるサポートをする。
これって正しく広報なんですよ。
– “未来を変える”プロジェクトの担当になって、面白い案件などはありましたか?
色んな人から声がかかりますよ!いっしょに〇〇をやりましょうって。
その中でひとつ挙げるのならば、”HAKUTO”さんでしょうね。
ぜひ紹介したい人たちがいると言われて繋げてもらって。
お話を聞くと月面にロケットを打ち上げたいが、人材が集まっていない。
採用に協力してもらえないかって。
最終的には、HAKUTOのサポーティングカンパニーとして契約を締結して、人材獲得におけるサポートをすることになりました。
最終的には求人広告や宇宙ビジネス人材募集を目的とした採用イベントなどを開催することで、HAKUTOの母体であるiSpaceの社員と、プロボノというボランティア人材の採用をサポートしました。
HAKUTOは最終的には打ち上げができずプロジェクトは2018年3月で終了。
これが月面に打ち上がって、「インテリジェンスさん、ありがとう!」って、なったら最高だったんですけどね。(苦笑)
これから
– これからの働き方は、どうなると思いますか。
一言で言うと、「人材の超ミスマッチ時代」になるんですね。
AI、ロボットで自動化が進み、人余りが生まれる一方で、仕事が高度化することで、そのスキルを習得する人材は不足することになります。
例えば、ホワイトカラーの職種は自動化が進むことで余って、ブルーカラーは足りなくなるかもしれません。
これから一番自動化の流れを受けやすいと言われているのが、年収400-700万円層のホワイトカラーです。
AI、RPAの導入により、自動化と効率化が急速に進むことになります。
そうなれば、人員削減や異動、それに伴う給与の変化も起こる。
そもそも、高度経済成長期のような全員が昇進という状態はもう起こらないでしょう。
– 正直、成果がなくても昇進していた人もいるわけですから、受け入れられない人は多そうですね。
年功序列、終身雇用という明確なキャリアパスによって社員のモチベーションを維持することは難しくなるでしょう。
だからこそ、各々が自分の強みを理解し、キャリアを積み上げていくほかない。
ホワイトカラーは特にそうなると思います。
一方、ブルーカラーは人不足になるはずなので、時給は上がっていきますが、高くなれば、機械化、自動化されるはずです。
いずれにしても変化を捉え、学び続けなければならない時代になります。
それと、働こうと思えば働けるけれど、働きたい内容が選べない人も増える。
生きる糧を稼ぐのと、自分のモチベーションというものの、ミスマッチが拡大する。
– 私は適材適所が最適解だと思っているですが、どうはめていけばいいのでしょう。
それが働き方改革なのだと思います。
企業も個人もそうなのですが、あれはそもそも理念の改革ということです。
誰もが、自分という企業の経営者であるという認識をもつこと。
一つの会社への滞在年数なんてどれほどのものでしょう。
盛栄の年数なんて短いんですよ。企業の寿命は23.5年と言われていて、一般的な人の職業人生よりもずっと短いんです。
もう1社に勤め続ける人の方がレアケースになります。
会社が変わる度に、学びなおしが必要になる。
僕らはこれを知ってもらうことが必要だと思った。
だからこれからの“はたらく”をテーマにメディアを始めた。
でも知るだけでは足りない。
だからワークショップを始めた。
他者とのネットワークを知ることで、自分の知らない“はたらく”を理解する。
理解が進むと次は実践なので、複業の機会とか提供できたらいいですね。
こうした時代に大事なことって自分が自分の責任で判断すること。
だから、自分自身の理解が大切。でも自分のことなんて意外にわからない。
だから、人との対話が必要なんです。だから、「タニモク」なんですよ(笑)
– ありがとうございました!
三石さん ご登壇イベントのお知らせ
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彼のお話を聴きながら、”働き方”について新しいアイデアを考えてみたいという方、ぜひご参加ください。
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Profile
三石 原士
パーソルキャリア株式会社
“未来を変える”プロジェクト 編集長 / 「タニモク」プロジェクトリーダー
大学卒業後、渡独。設計事務所にてキャリアをスタート。
帰国後、大手情報サービス会社を経て転職サービス「DODA」の立ち上げメンバーとしてパーソルキャリア(株)(旧社名:インテリジェンス)に入社。
求人広告制作では、500社1,000名を超える取材、執筆を担当。
2011年より、マーケティング部門にてコンテンツ企画を担当。
2015年6月より、これからのはたらくを考えるメディア&コミュニティ”未来を変える”プロジェクトを立ち上げ、編集長に就任。
2017年「タニモク」を開発。