Vol.10 – 梅津 和佳子 / デジマ企業のナンバーツーが、同社へ転職を決めた理由

※内容は、2018年11月時点のものです。

なせばなる。
この一言です。

いま

– 現状について教えて下さい。

金融機関のデジマ、中小企業支援をやっている会社で、ナンバーツーをやらせていただいています。
25年以上続いている会社ですが、働き方や稼ぎ方を刷新しようとしていて、私はその戦略企画を主にやっています。

[ 案件例:りそなCollaborare(コラボラーレ) ]

– なぜそこに入社を決められたのでしょうか。

えっと…一言で言うと”海で溺れたから”なんです!
これは一体どういうことか、というと…説明しますね(笑)

私、この会社に入る前は大企業でかっちり定時働きでした。
趣味がボディボードなんですが、ある日、溺れたんです。
その時死にかけて、「あ、このまま死ぬのは絶対、嫌」だと思ったんです。
自分はもっと本気で仕事して、すごいことをしたいと。

翌日会社に行って、辞表を出しました(笑)。
そこで入社を決めたのが今の会社です。

– なかなかダイナミックな(笑)何故その会社を選ばれたのでしょうか。

必死で努力しないと、ついていけない会社だからです。
当時、超買い手市場で。就職が難しい時期でした。
2-3人しかなかったその枠に200人くらいの応募があったそうです。
後から聞いた話ですが、私は書類選考で落とされていたらしいんです。

その頃私はパソコンが全然使えなくって、ビジネス知識も全くない状態でした。
自分に何もないなと思っていたので、直筆でやりたいことを書いた。
それが社員(当時)に刺さったらしいです。「この子は将来化けるかも」と。

それが今の上司、うちの代表取締役(現在)です。

– そうだったのですね。実際にその会社で働かれていていかがですか?

ものすごく好きにやらせてもらっています。
転職して、よかった。
自分で考えて、自分で行動するようになりました。
自分が変わったと、とても思います。

転職直後に2つの大きな出来事があったんです。
一つが、「私はやはり何もできないとはっきり自覚した」こと。
もう一つは、その時のトップに「君はまだ、上司や先輩に食わせてもらってる」と言ってもらえたことです。
まだ何も出来なかった私、価値を提供していなかった私に気付きました。

仕事というのは、明日自動的に落ちてくるものではない。
毎日、朝起きて、会社に行けば会社と仕事があるのが普通なわけではないのだ。
給料というのは、ただ発生するものではないのだ。
なぜ会社が存在するのか?を本気で考えなければならない。
それらに早期に気づくことができたのは、本当に良かったです。

– いいエピソードですね。一週間の流れはいかがですか。

私は24時間365日稼働する、をモットーにしていて。
気持ちとしては、オンオフが特にありません。
いわゆる「平日」は、8時くらいに出社して仕事に取り組みます。

日中は、人に会うことが本当に多いです。
あまり会社の中にはいません。
金融機関に営業にも出るし、会社の広告塔として起業家とか社外の人と情報交換したり、一緒に新しい企画を立てたり、さまざまです。
イベントにもよく顔を出していますね。ピッチイベントとか。

– 気分転換にしていること。趣味など。

2ヶ月に1度くらいは映画を、めちゃくちゃ見ています。
多い時は映画館を5つくらいハシゴしたり。
あとは、会社にビリヤード台があるので、ビリヤードをよくやっています。

– 新規事業部っぽい。私も映画好きなのですがどういったものをご覧に?

一番好きなのは「12人の優しい日本人」。
三谷幸喜監督の、陪審員制度を題材にしたコメディです。

今、一番観たいのはQUEENの「ボヘミアン・ラプソディ」。
ヒューマンドラマというか…ストーリー性があるものに惹かれるかな。
ラブストーリーとスプラッタは興味ないです(笑)。

[ ボヘミアン・ラプソディ ]

– この映画人気あるなぁ。お気に入りのものはありますか。

私、服を買うのが大好きなんです。
兄がいるからなのか、かっこいい系が好きです。
兄を尊敬していて、小さい頃は彼の真似ばっかりしていたんです。
そのうちに、服を買うのが好きになっちゃったのかも。

そして、色にすごくこだわります。
月曜だったら会社の雰囲気を明るくするように、赤い服を着る、とか。

– ファッションを仕事にしようとは思わなかったんですか?

うーん、思ったことはないですね。
ファッション系のバイトもしたことないなぁ。
どこかで、自分のセンスを信じてないからなのかな。

音楽もそうなんですよ。すごく好きなんですが。
高校の時に軽音楽部でバンドやってたし、その道に進んだ先輩もいっぱいいました。
多分…ファッションとか音楽とかで稼げると思っていなかったんだと思います。自分が。

– 自身の天井を知るというお話は、愛宕さんの回でも出てきましたね。

[ Vol.5 – Shota Atago ]

これまで

– 子供時代、学生時代。

私自身を表す象徴的な話があって。
私は生まれが山形県で、小さい頃はすごい雪国で育ちました。
小学校のとき、毎年スキー教室があったんです。
そういう時って、班分けがあるじゃないですか。

スキーのレベルで分けられるんですけど、私はとにかく、先生の言うことを聞かなかった。
下手だったから嫌気がさしていたのか、もともと人の言うことを聞かなかったから
上達しなかったのか、どっちかわからないんですけど。
周りが手を焼いたのか、好きに滑っていい「梅津枠」みたいなのができて(笑)。
どの班にも属さずに、スキー教室を楽しく過ごしました。

それから、私は特にミニスキーが滑れなくて、ちゃんと滑れるようになりたかった。
だから、家の近所に小さな雪山を作って、ミニスキーの練習をやっていた。
ある日曜日、家族に、おでかけに誘われても食事に誘われても断って、朝からずっと
一人で練習して突き詰めた。そして、その日の夜には滑れるようになった。

私の行動指針は、人と合わせるとか、人が決めた目標じゃなかった。
自分で決めて、自分で行動しようとする人間だったんだと思います。昔から。

私は全く記憶にないんですが、子供の頃って幼稚園とかで歌をやるじゃないですか。
で、普通、教えられた歌を歌えるように練習するでしょう。
でも、私はワンフレーズしか覚えなくて、あとは自分で創作して歌ってたらしいんです(笑)。

どんな歌も、一曲通して正しく覚えることはなかった。
その時の先生や親が包容力があって、「そんな感じでもいいんじゃないですか」と伸ばしてもらえてよかったですけどね(笑)。

– なかなか楽しそうな子供時代ですね(笑) 進学については。

えーと、私は中学時代、成績が良かったんです。

高校はトップレベルに行けたけれど、レベルを落として別のところへ行った。
なぜかと言うと、そこは当時珍しく、エレベーターやプラネタリウムがあるとか新しくて。
それに学校見学に行った時に、在校生が一番楽しそうだったのも印象的だった。

高校は、軽音楽部が本当に楽しかった。
みんなで何かを作り上げることに達成感があったんです。
あとはメンバーが良かった。一生の友達レベルで、もう20年の付き合いです。
高校時代、すごい喧嘩したのが、逆に良かったのかなぁ(笑)。

– 喧嘩しても仲良しでよかったですね。大学はいかがでしたか?

推薦で入りました。経済学部でしたけど、全く勉強しませんでした。
体育会系のラグビー部のマネージャーをしていて、部活ばっかりやってた。
今でも彼らを心から誇れる程、仲間っていいなと思います。
弱小チームだったからめちゃくちゃ創意工夫してました(笑)。

苦労を乗り越える時ほど全力を出すんですね。
やってやれないことはないのだと思った。

– こういう信念ある人多いなぁ。就活は。

私、就職って、社会との関わり方を選ぶことだと思ってました。
正直言って、大学が楽しすぎて就職したくなかったですね(笑)。

テレビ番組の制作会社に就職を決めました。
バンドもラグビーもそうだけれど、みんなで何か一つのものを作りたかった。

でも、半年で辞めたんですけどね。楽しくなかった。
掃除とかお茶出しとかお遣いとかがメーン。
その会社に4大卒の女性が入るなんて前代未聞だったのに、周りから「オジョウサマ」扱いされたように勝手に感じてしまった。
今振り返ると、私が世間知らずで根性もない、ただの甘ったれだっただけです。

家に帰れないADみたいに、めちゃくちゃ仕事に没頭する働き方をしたかった。

-私も20代の頃、仕事に没頭させてもらえないの苦痛でした。子供のころの夢。

宇宙飛行士。
人類の住む世界、地球を地球の外から見たかった。
やってやれないことはない、と。

– 人類の可能性に挑戦、ですね。若いころの自分に言いたいこと。

あー…、もっと勉強しろ(笑)。
あと、死ぬ気で働け。

仕事とは対価をもらう以上、プロだと思う。
24時間、仕事のことだけ考えて、真摯に向き合って、辛くても死ぬほどの努力をして初めて分かるものがあるはず。
辛い分、喜びも大きい。
一生に一度くらい、そんな1年間とかがあってもいいんじゃないかな。
私は実際、5年くらいそうしていたし、今も走り続けるその気持ちはある。
ただ、今は余裕の必要性を感じているのでちょっと変わったかな。

価値観

– 梅津さんにとっての”幸せ”。

仲間と自分の笑顔…?どちらも必要。
仲間さえ笑顔であれば、というのはきれいごと。
まず自分が楽しくて、そして仲間も楽しくて笑い合っているのが理想です。

幸せだと思う瞬間は、お客様に感謝された時かな。
達成感というか…やりがいなのかなぁ。
部下が初めて営業を取れた時とか、泣けた(笑)。

– いい先輩だなぁ。いま5億円もらったらどうしますか。

んー…、うちの会社を買う(笑)。
とにかく、今の会社が大好きで、とても感謝しています。
私に、生き方を教えてくれた場所。だからもっと貢献したい。

– なるほど、新しい。やりたいこと、ほしいもの。

欲しいものは、時間かな。
今会っている人数の3倍くらい人に会いたい。
会社を大きくするために色んな価値観を取り入れたい。

5年以内にこの会社をガイアの夜明けとかカンブリア宮殿に出したいんですよ(笑)。

– お会社大好きですね。やりたくないもの、嫌いなもの。

嫌いなことは…「ルールを守れ」って言われること?(笑)
やりたくないものは、卑怯な真似。

– ふむ。変わりますが、恋愛と結婚、どんな風に捉えていますか。

恋愛はカンフル剤。余興、エンタメ、非日常(笑)
結婚は考えたことない(笑)

– 色々あったっぽい(笑)では、家族とはなんだと思いますか。

一番ベースになる、大事にしたいもの。
うちの両親はなんというか…とても仲が良くて、彼らの優先順位は
良い意味で、子供ではなくてパートナーなんですね。
なので兄と私は、愛されてるし、大切にされてるけれど、執着がなかった。
若いころから一人の人間として見てもらってました。
とても感謝してます。

これから

-これからの働き方。

変わると思うし、変わって欲しいです。
うちの会社がまさに取り組んでいることですが、流動的に、というか、固執して縮こまらないでほしい。
プロジェクトごとにアジャイル化されるのもいい。

働くって、私はとても楽しいんです。
それをもっと実感出来る人が増えてほしいですね。

リモートとパラレルは増えると思います。
ただ、それは自由で楽しいというだけじゃなく、成果主義直結という話。
だから、一人一人がもっと責任持たなきゃいけない、厳しさがある。
実力主義になるという意味での、自由化ですね。

– 働くを楽しく、はいい言葉。これからの日本は。

私は悲観的に言うのが好きではないのでダメとは言わない。
日本、好きだし。ただ、国単位ではなく、世界とか人類で考えたい。

生きることってほんとに楽しい、んです。
自分で考えて、自分で決めて行動すれば。
一人一人がそれを実感できる世の中になってほしいです。

– この話も愛宕さんと共通しますね。そのために自分に何が出来ると思いますか。

生きるとは楽しいと発信すること、かな。
メディアの仕事をしているのはそういう気持ちがあるのかも。

ただ、自分の価値観が正しいと思い込んで、周りを見失うことが、多々あって。
色んな人がいることに気づいていない時期がありました。
価値観を押し付けて人を不快にさせないように気をつけたいです。

– 自分の老後は想像がつきますか。50-70歳とか。

老後ってあまり考えていない。
正直言って、今の仕事をしていない自分を想像できないですけど。

うーん…日本にいない可能性もあるかな…。
憧れはオーストリアのウィーン(笑)
クラシック音楽が好きなので、音楽の都に暮らしたいです。

いくつになっても何かしらの仕事はし続けてるんじゃないかな。
ずっとコンテンツ執筆をしている気がする。

あ、いや、自分で会社をやってたりするのかもなぁ…
引退したら、音楽家の発掘とかしてみたいかもなぁ。
彼らを世界に発信するようなことができたら嬉しい。
でも、やっぱり今の仕事をしていない自分が想像できないです。

私、古典落語も好きなんですけど。
人を笑わせることって、実はすごく難しいんですよ。
落語ってそれの究極だと思ってる。
心の機微とか、人間のことをよく分かってないと、話だけで人を笑わせられない。
特に、昭和の名人と言われる落語家ってそこがすごいと思う。
なんていうか、そういうものにずっと触れていたいです。

-ウィーンで再会したいですね(笑) ありがとうございました。

プロフィール

梅津 和佳子 / Wakako Umetsu
1975年生まれ。山形県出身。

2003年に今の会社、株式会社日本情報マートへ入社。
金融機関を通じて中小企業やベンチャー企業の経営者に
ビジネス情報を提供するメディア運営、コンテンツ作成を行っている。

目下、会社を新しく、大きくすることに奮闘。
金融機関の他、経営者、起業家、エンジニアなどと交流を深め、
「本当に経営に役に立つ情報」を提供する新しい仕組みを構築し、
中小・ベンチャー企業を支援する新規事業を企画中。
たくさんの人に会い、話を聞き、考えを知る。
それが日々の活力源。

[ 日本情報マート ]