Vol.50 – 川村 敦 / ベトナムと日本をボーダーレスへ、CROSLAN代表が描く未来

海外とつながる仕事をしたいとぼんやり思っていた学生時代。
大学時代にベトナムへ留学したことをきっかけに、現在ではベトナムと日本をつなぐ事業を行う会社を運営することになった川村さん。
彼の描く未来とは。

せずに後悔するより、やって後悔したい。

いま


(川村さんと筆者が出会ったイベントでの集合写真)

– ご無沙汰しております。新サービスリリースされるのですね、おめでとうございます!改めて現状をお伺いできますか?

はい、ありがとうございます!
Startup Weekend Tokyo Hochimin以来ですね。

改めて、株式会社CROSLANという会社を運営している川村です。
「ことばのカベのない社会を作る」ことを目指しています。

– 事業概要を伺えますでしょうか。

主には、ベトナム市場に進出する日本企業へ経営サポート、ベトナム語翻訳など。
また、外国人の受け入れ企業への人材定着などのコンサルティングも行っています。

そしてもう一つ、ビザ関連業務をもっと楽にするSMILEVISAというサービスを作ることにしました!

– 素敵ですね!自分もStartup Weekend Travelでやりたかったテーマはこれだったので、すごく共感します。

そうなんですね。
国を超えて、留学したり…就労したり、配偶者などとして在留したりするにあたっては、様々な審査や作業、管理が発生します。
その中でも、僕がやろうとしているのは就労に関する部分。
特に、特定技能に関する支援です。

– 特定技能とは何ですか?

日本では移民政策を基本的に受け入れていない。
よって、外国人労働者が日本で働くには就労ビザが必要となります。
これに、特定技能と呼ばれる、「相当程度の知識や経験を必要とする業務」に従事する場合、特別な在留資格が新設されました。

– 海外の方が、日本で働く方法が増えたのですね。

そういうことです。
本来、留学などのビザでは就労は認められていないんです。
アルバイトの場合でも資格外活動という許可が必要です。

– なかなかのハードルですね。技能実習制度とはどう違うのですか。

技能実習制度は、基本的にいつか帰国されることを前提にしています。
途上国の方々が日本で働いて、そこでの経験を母国に持ち帰ることで、途上国の発展に寄与しようという施策なのです。

これに対し、特定技能は、日本で「労働者」として働くことを前提にしています。

– なるほど。この課題に取り組まれようと思ったきっかけはなんだったのですか?

これは、僕がベトナムに行って、そして、現地で現在の妻や友人たちと出会い、その苦労を目の当たりにしてきたからなんです。

これまで


(大学の卒業式での川村さん)

– ベトナムに行かれることになったきっかけは?

幼少期から海外に関心があったんです。
行くならば、みんながよく行く先進国ではなく、勢いがあって、これからどんどん発展していきそうな国がいいと思いました。
そうしたら偶然、大学が提携している先にホーチミンの大学があったのでそこにしました。

– 行かれてみていかがでした?

とにかく人が多い(笑)
活気に溢れていてガヤガヤしているなと。

– 私も何度か行きましたが、特にホーチミンはガヤガヤしていますよね。その後は帰国された?

はい、1年ちょっと行ったあとに帰国しました。
その後も、大学の長期の休みのたびに、ホーチミンに行くようになりました。
留学の時に現在の妻と出会って付き合っていたので、彼女に会いに行っていたというのもあります。

また、卒論の先生が院並みに厳しくて(笑)
卒論調査のために行っていたのもあります。

– 技能実習やビザについてもこの時から関心をお持ちだった?

はい、彼女がこの問題の当事者であったということも大きいです。
「技能実習生の帰国後のキャリア形成」をテーマに卒論を書きました。

– 当時から課題感があったのですね。ご卒業後は。

大阪のIT企業にエンジニアとして就職しました。
僕、大阪の出身なんです。

日本だと英語もプログラミングも身につけている人はまだまだ少ない。
ベトナムだと、言語もプログラミングもできる人が多かったんです。

– そうなんですよね。アジアも欧州も非英語圏は3ヶ国語以上話せる方はたくさんいますし。

そうなんですよね。
日本でも、同じ土壌で戦っていかないといけない時はきている。
僕自身も彼らと同じくらいのスキルセットが必要だと考えて、学生時代からプログラミングを学んでいたんです。

– 素晴らしいですね。その会社にはどれくらい?

2年10ヶ月くらいでした。
兼業OKの会社だったので、土日にベトナム語翻訳や通訳の仕事を始めました。
心斎橋で物件を借りて、ベトナム雑貨の卸売もやっていました。

– パラレルキャリアを始めるのが早かったのですね。

そうですね。
それに、1社専業の会社員だと所得にも天井があるでしょう。
妻からの割と強引な勧めもあって2016年に独立を決めました。

– とてもわかります。初期の生計はどう立てられたのですか?

ベトナム語を教えることが多かったです。プライベートレッスン、友好協会やNHK文化センターに行って教えていました。
生徒の中には、ベトナムに関心が強い人が多く、積極的に仕事を手伝ってくれたり、お客さんを紹介してもらいました。
1年も経つと人脈もできていって、現地の経営支援や人事・組織支援でホーチミンにも行くようになり、顧問業などもできるようになっていきました。

2017年2月に法人化いたしました。
2016年の冬に母の実家に行った際に、経営者でもある叔父から、個人事業主だと信用がないからと言われて(笑)…そのアドバイスをもとに、すぐに法人化しました。

– 私は法人化まで2年でした。素早い、素晴らしいですね。

僕は行動が早いみたいで(笑)
妻の知り合いのベトナム人留学生から、在留資格の手続き、要件の解釈、日本語による各種説明資料が大変ということで、提携する行政書士の方と一緒に、これらのサポートをしたら、人づてでどんどん頼まれるようになって。

特定技能士1号という資格ができたので、登録支援機関というサポート業務の資格を取得するようになりました。
やがてシステム開発にも携わるようになり、現在に至ります。

これから


(奥様とダナンに行かれた際の写真)

– これから目指す世界。

社のスローガンでもありますが、ことばのカベをなくすこと。
夢や実現したいことがあるのに、言葉や行政手続きなどが壁になり、自由に行うことができません。そういったものを取り払っていき、自由にやりたいことに注力できる社会の実現です。
足元は、日本に来たい方やすでに在留している外国人向けですが、やがて対象範囲はどんどん広げていければとは思っています。

各国で制度がかなり異なるので、ローカライズは地道にやっていくことにはなりますが、国籍で生き方が制限されることのない世界にしていきたい。

– 自分がやるべきだというミッション性は感じられます?

感じますね。
妻が外国籍ということでそもそも原体験がある。
自身や家族の法務手続きも、行政書士にお願いせずに全て自分でやったので、その痛みも自ら負ってきている。

– 自分がペルソナ1号だと絶対にやる意味があるので、起業の中でもこのタイプは続きやすいなと思っています。

その意味だと、僕はすごくミッション性が強いですね。
実際の手続きも理解しているので手の入れ方が見えているのも強みだと思っています。

– ライフワークとライスワークの一体化がほぼできた様相ですね。

ライスワークの意味だと、Webサービスやベトナム語翻訳などの受託事業も引き続き行っています。
Startupは開発も営業も全てゼロからなので、なかなか一本足打法だと大変なんですよね。
一方で、今後は日本で資金調達なども頑張っていきたいと思っています。

– 今後どこでどうやって暮らしていきたいなど展望はありますか?

しばらくは日本メインになりそうですが、開発は主にベトナムの協力企業と一緒に行います。市場開拓は、ベトナムだけでなく、ミャンマー、インドネシアなどにも広げていきそうなので、東南アジアにも足を伸ばしていきたいなと思います。

– 素敵ですね!応援しております。ありがとうございました。

漫画でPolaris

Polarisの記事を1枚の漫画にまとめたものです。

Interviewee

川村さん

意外と一本道で繋がっているなと実感できました。
週に一度は振り返っていますが、人生の棚卸しは就活以来。楽しかったです。

株式会社CROSLAN代表取締役
神戸大学国際文化学部卒。学生時代に、ベトナムのホーチミン市国家人文社会科学大学に留学し、ベトナム語をマスターする。
大阪のIT企業で約3年のエンジニアを経て、独立する。現在は、日本企業のベトナムでの事業展開をサポートする傍ら、日本に在留する外国人への支援、在留資格の手続きの自動化・管理するクラウドサービスの開発に従事する。

Interviewer

Nocchi

Startup Weekend Tokyo Hochiminでお会いした川村さん。
何年振りかに連絡をいただいて、新しい事業開始、おめでたい限りです。
国際障壁と法的手続きの緩和は自分も取り組みたい課題の一つなので応援しております。

合同会社N.FIELD代表
新卒でメガバンク入社、のちにIT企業の新規事業開発を担当。
現在はコミュニティ・デザインとビジネス漫画作成の2事業を営む。