Vol.46 – 濱崎祐一 / 会社勤めをしながら、ドンハマ★として”おとなの絵本プロジェクト”を5年続けて思ったこと

※内容は、2019年7月時点のものです。

大手金融系企業に勤めながら、「おとなの絵本プロジェクト」を始めたドンハマ★こと濱崎さん。
そのプロジェクトは、Facebookページフォロワー3,000人超えにまで成長。
これまで開催してきたメインイベント「よみきかせナイト」は、今年の秋をもって東京・横浜の活動を休止することに決定。
5年の活動に一旦終わりを告げるドンハマ★さん。
このプロジェクトにこめた思いと、これからの展望とは。

NO Wakuwaku, No Life.
自分でイラストを描いたオリジナルのピンバッジを作って、カバンにつけています(笑)

いま


(オリジナルのピンバッジ)

– ドンハマ★さん、今やってらっしゃることを教えてください。

はい、まずは本業の方から。保険会社で働いています。
今のところで4社目で、社会に出て10年間で3社経験しましたが、そこまではすべて広告会社でした。

1社目は、リクルートのような情報発信系の会社で、雑誌の広告営業をしていました。
人数も15人くらいの事業所だったので、のびのび仕事もしていたのですが、もっとビッグな広告(笑)、TVCMとかがやりたくて、ここでは無理と思って、2年で転職。
そして関西から人生初の東京へ。

2社目は、ある意味、今で言うちょっとブラック体質の会社だったかもしれない。
給与がかなり低いということは入社前に分かっていたのですが、「大手企業のマス媒体の扱いがたくさんあるので、いろんな経験(勉強)ができる」と言われて半ば「修行」の気持ちで、入社したんです。
ところが、それらの実績はほとんどすべて過去のことで、私が入社した頃は、ほとんどゼロになっていた。

結局、新規事業の営業になって、逆に憤りをパワーにして、新しいことにチャレンジして、いろいろ経験にはなったのですが、そもそも「ダマされた」という不信感も拭えず、また経済面でもせっかく貯めていた貯金をどんどん取り崩していく状況で、このままでは生活が成り立たない不安があって、1年経たずに転職。

– 平均的には、早いサイクル、と言われそうですね。

今から30年前なので、「一生勤め上げるのが当たり前」みたいな社会通念があった中で、かなり珍しい部類ではあったでしょうね。
転職について、自分なりの納得感はありましたが、でも、社会人としての適性が欠けているのでは?と不安な気持ちもありました。

3社目は当時、流通の最大手であったダイエー系のハウスエージェンシーへ。
とりあえず、拾ってもらったという気持ちが強かったので、がんばったと思います。
当時、ダイエー資本の入っている媒体社(神戸のサンテレビ)の野球関連番組の広告営業などをしていました。

-あっ、そうか!今はソフトバンクホークスですが、昔はダイエーホークスでしたよね。優勝セールとかしていた気がいます。

そうそう、それです。それの番組の広告営業。
昔野球のナイター中継って20:54までだったんだけど、ちょうど試合の良いところで終わっちゃう。ファンはそれじゃあ納得できないわけですよ。だから、リレーナイターって言って、引き継いで放送して、それを番組として別枠で売ったりしていた。

– 9回裏だけ、といった感じでしょうか。

そうそう。例えば、そういう感じ。
具体的に言うと、途中までは、関西キー局の朝日放送がやって、そこからはサンテレビが受け継ぐみたいな番組です。

– ふむふむ。

確かにTVには関わっていたんですが、なんだかスペースブローカー的な要素は否めず、おまけに親会社ダイエーの商品部の協力を得て、クライアントに出稿を依頼するわけです。
当時は、ダイエーというとメーカー各社には相当のプレッシャーがあった。

だから、クライアント側も広告戦略として出稿するというよりは、営業部門の販促費から予算を捻出するというのが実態で、「お付き合い」として広告を出してもらっていた。
そうなると「ビッグな広告」をやりたいと思っている自分の気持ちは満足まではしていなかった感じです。

– 自分で獲得した感も得にくそうですよね。

さすがにこれ以上転職を繰り返すのも人間失格みたいな気持ちもあったし、経済面ではそれなりに暮らせるようにもなってきたので、目の前の自分のできることをとにかく一生懸命やっていたと思います。

面白いもので、神様は見ているのかな?
そんな風にして3年くらい経った頃に、ダイエー本体が久々にテレビのスポット広告をやるという話になりまして、濱崎が担当ということになったんです。
それまでは商圏にチラシをまくというのが、販促の王道だったんです。

– チラシとCMだと随分と違いますね。

ダイエーはTVCMを昔、提供していたこととかもあるんですが、効果の問題でそのときは止めてしまったという過去がありました。
で、久し振りのテレビCMでしたが、結果はすごく効果が出た。
時代はバブル真っ只中で、インターネットなんてもちろんないし、TVの地上波の影響力はすごい時代でした
関東キー局のCMの値段も需要と供給の関係で、定価の倍以上につり上がるという本当にバブっていました。

だからそれからは何かセールがあると必ずTVだと。
ダイエー恒例セール『一の市』などのTVCM担当をして、1年間で30以上の企画をやって、CM制作から媒体買付まで、本当に良く働いたと思います。
自分でもほめてあげたいくらい(笑)

www.daiei.co.jp
一の市 | ダイエー[ごはんがおいしくなるスーパー]
http://www.daiei.co.jp/topics/ichinoichi/
毎月1日はお買い得!一の市の情報を掲載しています。ダイエーの商品・店舗情報サイト。

– かなり体力を使いそうですね。

スタジオで徹夜して、そのままダイエーの本社に出社して、打ち合わせして、そして夜はまたスタジオ入りみたいなことが、繁忙期には週の半分くらいありました。
そうやって何年か経ったとき、働き方が激務でしたし、TV広告に対しても結構やり切った感が自分の中に出てきて、これっていつまで続くのかな?という思いが出てきました。
33歳の時でした。
また、いっぱい働いている割に給料安いね、みたいなことを言われ、悔しい思いをしたこともありました。

– 大変だったのですね…。そういえば4社目で金融業界を選ばれた理由というのは?自分も金融だったので感じるのですが、違う業界から入るにはちょっと独特なので入りにくいような気もしていて。

そうですね。畑違いの感覚はありましたね。正直言うと、僕は金融に興味があったわけではなかったんです。
「お金」は必要なモノだけれども、「お金」のことを自分の仕事にするのは、ピンとは来ていなかった。

でも、新しい挑戦をすることへのわくわく感や、やったことがないことをより深くやってみたいという成長欲、そして、その中に自分の残りの人生で生活に必要な知識や経験があるかもしれないという感覚がありました。
なんせ、それまで広告と言えば「かすみを食って生きている」ような感覚もありましたから、ちょっとは地に足をつけて人生考えようと。
そして、人からバカにされないくらい、稼ぎたいというのもありました。

– 給与水準はいいですし、知識もつきますしね。

そうですね。一般的にはそうだと思います。
保険会社でフルコミッションの営業職になりました。

比較的、順調にスタートして、入社2年目には、現場のマネージャーにならないかという声もかかり、人材の採用や育成なども手がけるようになりました。
営業の最前線のプレッシャーは相当のものがありましたから、そこからは解放されたけれども、今度は人をマネジメントするというとてつもなく難しいことをやらなきゃいけなくなった。
これは自分の想像以上の難しさでした。

保険会社のフルコミッション営業というのは、基本、個人事業主と同じように経費管理など自分で行います。
出費が多い時には、稼いでもこんなに出ていくんだなという驚いたこともありました。
一生懸命、営業活動はしたけれど、経費管理も含め、経営視点はまだまだ未熟でした。
そして、経済的な欲求はそれなりに満たされるけれど、「幸せか?」と訊かれるとちょっと素直にうんと言えない自分もいて。

結果、私の場合、自分のいたらなさが原因なのですが、将来展望が描きにくくなって、そんなときたまたまご縁があって、バックオフィスというか、社内の人材教育系の業務に職種転換しました。

本社の内勤、つまりはサラリーマンになったので、社内異動も含め、それもいろいろあったはあったわけですが、でも今が人生で一番楽しいんです。
年齢57歳にしてね。

– そうなのですね。50代以上の方からご相談を受けることもあるのですが、少しお疲れだったり、道に迷われていたりする方が多いのですが…何歳になってもキラキラ生きられるというキャリアモデルですね。

ありがとうございます。
キャリアモデルというほど、格好良いものでもないし、人生の迷いがなくなるわけではないけれど、自分としては今が一番いいと言えるのは幸せなことだと思います。
業務的には、社内研修や広報CSRなどを手掛けるようになって、研修プログラムの企画運営などもやるようになった。そういうのが性に合っているというのもすごくあります。

– 磯村さんのような、ファシリテーターの仕事も向いてそうですね。

コーチングやファシリテーションのことは興味があって、かなり早い時期から学んだり、自分なりに業務や日常のコミュニケーションに取り入れたりしてきました。
でも、研修やCSRなどを業務にしていくとどうしても仕事の本質論を掘って行く部分があって、それと業績数値を優先しがちな現場感覚とのズレが苦しく感じるときはありました。

– 俺らの売上が社員の生活支えてんだぞ!という。

例えば、そういう感覚の人もゼロではないと思う。自分自身がたった5年ではあるけれど、現場に身を置いていただけに、そのギャップの難しさも感じますね。

今、CSR活動として学校でライフプランニングを疑似体験できる出張授業をしていまして。
経産省主催の表彰制度にキャリア教育アワードというのがあり、うちの活動を知っている関係者から、アワードに応募してはどうかという提案があったんですよ。

内心、これは受賞できるんじゃないかと期待していたんですが、実は書類選考で落ちてしまったんです。
結果に納得が行かなかったので、受賞団体の発表の場である教育シンポジウムに行ってみた。
すると、それぞれ素晴らしい活動だけれど、うちが劣っているとはまったく思わない。そんなに差を感じないわけです。
だから、なぜうちが受賞できなかったのか、悔しい思いでいっぱいになり、次のチャンスは、あらゆる可能性を追究して、トコトンやりたいと思ったんです(笑)

– 再度挑戦しようとするところが素晴らしい!

一年空いたのですが、翌々年には、今こそ機が熟したと思いましたので、最初の時より、応募資料をかなり綿密に作りこんで応募しました。
それでまた書類で落ちたら出社拒否になるぞって、周りの人にまじめに言ってました(笑)
それくらい必死だったということですが、そうしたらお陰さまで書類審査は通り、その年の教育シンポジウムでプレゼンもできたんです。
これはもしかしたら1等賞か!とまた皮算用したのですが、結果は優秀賞でした。

– おお…

その翌年はそこまで欲をかかず、この1年のがんばりを自分で振り返るくらいの気持ちで応募したら、おもしろいもので、今度は、最優秀賞をいただきまして…
そこから社内からの見方もかなり変わったようの思います。
講演や記事化の話もいろいろあって、エポックメイキングになった時期でした。

– 挑戦が評価となる好事例ですね。

実は、この賞を取りたいと思った背景に、CSR活動が社内で評価されにくいという実情がどうしてもありました。
現場のメンバー自身が、いろいろ時間や労力を工面して講師として活動しているのに、その活動の素晴らしさに現場自身が確信を持てていない。
それは本社で担当している私にも似たような気持ちがあって、それで社外の専門家にいろいろ意見を訊きたくなって、教育系のNPOの方とか、識者と言われる方々とつながっていくようになった。
そして、自分たちのCSR活動がいかに稀有な活動であるかも実感できたし、教育アワードへの再応募にも繋がって行ったと思います。

また私個人にとっても、社外のコミュニティーに繋がって行くことの必要性や充足感を感じるきっかけでもありました。

– 絵本の活動はいつから?

[ Facebookページ ] https://www.facebook.com/otonanoehon.project/

これは全くプライベートで始めて…5年くらいやっています。
ファザーリング・ジャパンの活動に触れる機会などもあって、自分のできる子育てのひとつが読み聞かせかな?と。正直これなら自分でも出来そうと思いました。

講演を聞いたとき、子供が巣立った後、妻の気持ちが子供から夫へ戻るかどうかの分岐点は、実は「子育て3歳までに、夫がどれくらい育児へ貢献したか」で判断されるという話を聞いてね。

– あっ、とてもわかりやすい。多分そうだろうと思います(笑)

当時、うちの下の子がちょうど2歳半でね、あ、やばいやばいと(笑)
だからこそ、絵本の読み聞かせをもっとやろうと思った。
そんな流れで、地元の小学校で読み聞かせのボランティアをすることになったわけですが、ある時読み聞かせをしていたとき、子どもではない、大人の視線がすごく気になった。それは、担任の先生だったんですが、食い入るように読み聞かせを聞いてくださった。
あ、大人も絵本にこんなに没入するんだって、新しい発見があったんです。

– 面白いですね。

性格的に、ついつい人と違うことがしたくなるというのがあって(笑)。
大人向けに、アルコールやご飯も楽しみながら、絵本の読み聞かせの会をやってはどうかと思いつき、Facebookでみんなに投げかけてみたら、反応がものすごくたくさんあって、これはとにかくやるしかないと。
そこで、運営を一緒にやるメンバーを募って、イベントを立ち上げたら、ありがたいことに定員30人でしたけどすぐに埋まりました。

そしてイベントに来た人が、「あの日は朝までぐっすり眠れました。あんなのは子どもとき以来です」とか感想を言ってくれて。
ああなんと素晴らしいことを自分はやっているんだ!自分もサイコーに楽しかったけど、他の人もみんな幸せ。
これはCSRならぬPSR(Personal Social Responsibility)だなんて自分で言い出して、その時の体験が原動力で、ここまでずっとやって来ているというわけです。

– 参加者はどういう動機で参加されているのでしょうか?

最初は、キャリア教育をやっていたはずのあの濱崎は一体何を始めたのかという興味で来る人もいた(笑)
けれど、実は絵本にちょっと興味ありますという大人が、結構いるんだなって思います。

また、一般的に、絵本の読み聞かせの参加者は女性がほとんどになりやすいのですが、僕がやるようになって、男性の参加者も結構いた。

– 男性はどういう動機で参加されるのでしょう…男性のあり方みたいなものを学びにきているのでしょうか。

うーん、きっと男性も本当は「絵本」に興味あるとかいう人が結構いて。
でもまだまだ「男性的」とか「女性的」とかいう概念があって、やっぱりちょっと恥ずかしいとか、いろんなことがあると思いますが、でも来てみたら、自分らしく過ごせて良かったとか、自己表現ができるようになったという方もいるので、居場所的に感じてくれた人もいると思います。
もちろんこれは男性に限らず、すべての参加者に言えることですが。

– なるほど。これは副業…というかやりたいことをやり始めた、個人活動、という感じですかね。

そうですね、しかし《稼ぐ》という意味での副業という感覚はないですね。
会場を借りたり、飲食も提供するので、実費レベルで参加費はいただいていますが、儲けにはなっていません(笑)。
ですので、どちらかというと「ふく」業と言っても「複」業(パラレルキャリア)の方で、自分の可能性や成長感を大事にした取り組みのひとつだとと思っています。

– ライスワークとプライベート活動のバランスは、どのようにお考えですか?

バランスについては、常識を逸脱しない範囲でという感じだと思っています。

ただ、神の見えざる手ってあるでしょう、経済学の考え方で。
それって経済だけじゃなくて、あらゆる事柄に当てはまるんじゃないかというのが私の持論で。
人は何か新しいことや前例のないことをするのに躊躇してしまうことがよくあると思うのですが、僕が思うのは、自分が自分に先に歯止めをかけるのはやめようと。

やってみたいなら、やるだけやってみて、そしたら、うまく行くこともあれば、そうならない場合もあるし、誰かから「やめた方が良いよ」って忠告されたり、あるいは家族の問題で続けられないとか、体調が崩れる場合もあるかもしれない。

それはきっとみんな「神の見えざる手」であって、そういうことになったとき、止めるにしても続けるにしても、立ち止まって次を考えれば良いと。
だから「神の見えざる手」が発動するまではとにかくやろうとそんな感じで思っていて、それが実際そうしてみると、結構誰も歯止めを掛けてくれない。
ということはまだこれはストライクゾーンなんだと考えながらやっています(笑)

– 流れはありますよね。

あるある。
言い方を変えれば、とりあえずふわっとしたボール投げてみて様子見ながら色々やることはできますよね。
人にもよるけど、物事を進めたいタイプは、そうやっていくのがいいのかもしれないですね。

これまで


(絵本活動中の一コマ)

– 幼少期はいかがでしたか。

僕は一人っ子で、結構、自分の世界に入っちゃうというか、頑固で言い出したら聞かない面もあった。
幼稚園は、期の途中入園で、初日、昼ごはんは、ママと食べるんやって家帰るって駄々こねて。
先生が帰って良いよ言ったので、閉まってたゲートをよじ登ろうとして、騒ぎになったり(笑)

母親には、納得いかないときは言い返したりして。
ママなんかベトナム戦争に行って死ねばいい!と言っていたらしい(笑)
これが3-4歳。

– 3歳の語彙力にしてはなかなかすごいですね(笑)自分もそうなのですが、一人っ子って精神的に独立しやすいような気がしていて…自己完結型だから理解されにくいんですが(笑)

内省型というか、自分で解決したい型というか。
だから、事前に人にネゴったり、相談したりするのは割と苦手な面があるね。

– ああ〜、心当たりが…(笑)自分で勝手に落ち込むんですよね、一人っ子。とてもわかります(笑)他にエピソードはありますか?

中学で卓球部に入って。
1学期は楽しくやっていたのですが、2学期から顧問の先生が変わって、方針も変わった。

一部の将来の有望株ばかりに実技練習をさせて、他のメンバーはみんな玉拾いばかりになってしまった。
自分も玉拾い組になってしまって、つまらないので、先生にどうやったら実技練習をさせてもらえるかと聞きに行ったんです。

そしたら、クラブ活動にプラスして、その顧問の先生がやっている卓球教室に通ってくれば、考えると言ってくれたので、まじめにその卓球教室に通いました。
でもいつまでたっても玉拾いばかり。
実技練習もさせてもらえなかったので、これは約束と違うし、未来がないから辞めることにしたんです。

で、そのことを言いに行ったら、顧問から退部理由を聞かれて、なぜか理由をちゃんと考えていなかったんですね。
なので、思わず本音が飛び出してしまって「先生、僕、卓球好きだけど先生嫌いやから辞めます」って言っちゃいました。
さすが先生も、ボディーブローをくらったというか、そのまま「おーわかった」と。
そして無事、卓球部を退部となりました(笑)

– 先生、なすすべもないですね…(笑)

だったと思います。
部活を辞めた後は、自宅でラジオを聞いていましたね。
どちらかというとオタク体質だったし、これも自分には合っていた。

当時の日本短波放送、今のラジオNIKKEIですが、競馬と株式市況しかやってないような局に、なぜか夕方、月~金の帯で通称「ヤロメロ」というバラエティ番組をやっていた。

大橋照子さんという局アナがいて、それがとっても可愛いんです。
で、ファンになって、毎日ハガキ書いて、送っていました。
結構、読んでもらったので、番組の中では、知られたリスナーのひとりだったと思います。

– 青春ですね(笑)受験はいかがでした?

高校受験のときも勉強は全然しなかったのです。なのに、私立のエスカレーター式の高校も受けて、見事に落ちました。
そして地元の公立高校に行きました。
その当時、京都では、公立高校に行ったら大学に現役合格はできないという噂があって…

というのも、当時、小学区制という制度を敷いていて、学区では偏差値ごとのランキング編成をしておらず、京大に現役合格するレベルの秀才と進学なんてハナから考えていないというやんちゃ君と同じクラスで同じように学ぶという形態になっていました。

– いかがでした?

受験には、確かに不利だったと思いますが、中学校がそのまま高校になったような、そういう多様性は個人的には嫌いではなかった。
自分の性には合っていたと思います。

しかし、大学への進学率を上げるためには、生徒の生活指導を厳しくして、勉強させないとダメという考えで、「管理教育」という手法が脚光を浴び、私の母校は、府教委のモデル校になった。
今思えばそういう教育論争の背景には、必ず政治というか府政のイニシアティブをどちらの勢力が取るかという政争の具にされていたわけですが。

[ 諏訪 哲二 / 管理教育のススメ ]

で、教師たちが、毎朝チャイムが鳴ると、鉄格子の校門をガラガラガラと締めたり、生徒のスカートの丈や髪の長さをメジャーで測るみたいな指導が始まったんです。予め決められたルールに無条件に従わせることを、管理教育は強いて来たわけです。
あまりのくだらなさに、僕は学校への反抗というか、そのルールの根拠を問うたりしたのですが、納得いく答えはもらえなかった。だだルールだから従えと。

中には、そういう学校の体制に危機感を感じる教師もいて、一緒に問題意識を共有したりしていた。
そういう教師がいるということは、その時代の僕にとっては、一縷の希望だったと思います。

– おお…

結果、やはり浪人したけれども(笑)、そういうこともあって管理教育に依らない学校の在り方とは何かを自分なりに考えてみたいという思いもあって、大学では教育学を専攻しました。
管理教育を受けたという影響があったと思いますが、「人間が体制に飲み込まれない、対峙する生き方」のことをいつも考えていた。
当時、公害問題の端を発した地域運動や住民運動が各地にあって、それらを取り上げた「地域闘争」という雑誌があったのですが、そこで管理教育をテーマにした特集などがあって、出たりしました。

– すごい名前の雑誌ですね(笑)

数年前ですが、立教大学の図書館に蔵書が全部あるらしいと知って、読みに行きました(笑)
でも時代と社会に対峙して行く生き方とは何か、結局自分の中では、明快な答えが出ず、いつももやもやしていました。大学院に進むことも考えたけれど、どう考えても自分は研究職向きな気もしない。

– 広告系に進まれたのは、そういった背景もあるのですか?

そうですね。時代や社会の鏡とも言える広告の世界には子どもの頃から興味や憧れがすごくあった。昔からテレビが好きで、CMを見るためにザッピング(手動式のテレビのチャンネルを回すこと)していたくらい。

しかし、社会の有り様に憤りを感じている自分と、そういう社会を支えている機能である広告という世界に憧れる自分。自己矛盾というか、自己乖離を感じつつも、糸井重里さんとか、仲畑貴志さんとか、著名なコピーライターへの強烈な憧れがありました。

– 一人っ子は効率重視というか合理性を求めるところがあるので、効率よく稼ぎたかった…のでしょうか。

稼ぐというより、人への影響力を持ちたいという気持ちは強くあったと思います。
それはきっと今でも。
2社目の転職活動のとき、広告会社をいくつか受けたんです。

当時「I&S」という西武系の広告会社があって、「おいしい生活」とかメジャーなことをやっていて、そこが新規にクリエーターを募集していた。
でもあくまで経験者募集。自分はまったく実績はなかったけれど、履歴書の形態にとらわれず、思いの丈をオリジナルな資料にして応募してみたら、書類選考は意外にも通って、面接までは行った。
結局採用はされなかったけれど、既存の枠にとらわれずトライしても良いんだ、オリジナルを追求して良いんだという感覚はそのときも培われたかもしれない。

– もし合理性なのだとすると、反社会性というよりは、その校則や、社風や、教師や上司というものが、ドンハマ★さんにとって納得しうるかで違うのかもしれませんね。

ああ、なるほどね。
きっとそうですね。頑固者だから、納得できないと動きたくないのですね。

大学時代は、識字教育というのにも興味を持ったんですね。
自分はこれまでの人生である社会環境の中で文字を獲得し言葉も覚えて来たけれど、それは自分の本来の言葉なのか?それとも体制というようなものが私に強いた言葉なのか?体制と対峙すべしと考えている自分であっても、そもそも体制に飲み込まれている存在ではないか?「文字や言葉を獲得する意味ってなんだろう」そんなことを考え続けていました。

言葉(概念)による自己理解、表現を獲得した人たちが、生きる最低限の権利を主張し獲得していく、そういうプロセスが識字教育運動にはあるんですが、私が一番インパクトを受けた事例は、ブラジルのプランテーションで労働を強いられていた小作農民に対する識字活動でした。
そういう事例の中に、自分の中にあるもやもや感を解放するヒントがあると思っていたのです。

3回生の時には、人の紹介で、このテーマをやっている他大学の大学院のゼミに参加したりしてしました。
実は、担当教授も了解の上のもぐりでしたが(笑)。

[ パウロ=フレイレ / 被抑圧者のための教育学 ]

いろんなチャレンジをしたけれども、時代や社会と自分が対峙し生き抜いていくイメージがどうしても湧かなかったんだと思います。そこで自分の中では、ふりだしに戻るというか、それが広告業界に就職するということに繋がった気がします。

価値観


(FacebookやInstagramでアップもされている、手帳に描き溜めている自筆のイラスト)

– わくわくする瞬間。

今、一番わくわくするのは、自分じゃない誰が笑顔で嬉しそうにしている時、かなぁ…
ありがとうって言ってもらえる時は、至福ですよね。

– 人間って根源的に被支配欲があるらしいです。人に求められる関係性って多様にあれど、種の一部に組み込まれた快感に近い、のかも。

そうなんですね。
絵本を通してそれを感じたのかもしれないな。

– 絵本の活動を始めて、分かったことはありますか?

楽しいことは、自然に伝播するということです。
東京からやり始め、それを知った札幌、名古屋や関西の人たちが、この活動をその地域で始めてくれました。

-100人カイギなどとも近しいかもしれませんね。

自分の中で、正義をまっとうしたいという気持ちがある。
だから時には、社会的に“正しい”ということを自分もやるべきだし、人に求めたいという気持ちもこれまでもあった。

しかし最初は共感してくれる人が出てきて、瞬間的に跳ねることがあっても、継続的には続いて行きにくい。
結果、先細りしたり、自分の気持ちも疲弊することを何度も経験してきた。
一方で、この絵本の活動はずっと伝播していっている。

これは一体何なんだ!という思いがあります。
結論的に思っているのは「正しいことは続かないが、楽しいことは続く」。
だから、私が社会とどんな風に向き合っていくのか?という長年の宿題に対する、答えに絵本がなっている気がする。

– 100人カイギのほうは「個の認め合い」のような欲求消化らしさを感じますが、絵本の読み聞かせってどういう効用があるんでしょうね。

絵本は、ひとりひとりの想像力で、多様な受け取り方ができるので、懐かしい子どもの頃の自分や大人になってちょっと自分を見失っている自分も含め、いろんな自分と自然に出会うことができて、自己承認や癒しが生まれると思っています。
また読み聞かせの場では、絵本を通じての、読んだり聞いたりという関係性の中で、参加者同士が相互理解や承認という心地よい場が醸成されるように感じています。
ですので、極端に言えば、作品はなんでも良い。自分が読みたい絵本を自分が読みたいスタイルで読みたいように読む。
読むのが上手いとかヘタとかそういうことではなくて、自分らしい自分が自然に表出して、お互いに認め合うような場であることが大事かなと思っています。

– 当サイトは“文字化”を通してそれを行なっていますが、例えばレゴ・ワークショップに近いのかもですねぇ。

ああ、そうかもしれないですね。
自己開示ができる安心感。表現できたという満足感。
心地よさを感じたので、もっと参加したいと思う心。似ている面はたくさんあると思う。

あと、絵本やってると、この会はなんで“いい人”ばっかり集まってくるんですかって言われることがある。
そんなことないというか、人にはいろんな側面があるでしょ。
だから、絵本をやっているときは、絵本の魔法の力というか、人の良い部分が表出しやすくなっているんだと思っています。

場やチーム作りという面からみると、みんなでその場を作って行くという要素が強いので、ティール的な組織の実現という面もあるかもと思っています。

[ ティール組織 ]

– なるほど。最近思うのですが、人間というものは、真のフラット状態を本当に希望しているのでしょうか…。

多分、ひとりひとりが自分なりに主役であることについては、望んでいると思う。
だから自主性を重んじれば、ティール的な組織を理想形とする部分もあると思う。
特に運営チームなどは、指示命令よりも、課題先行型、ビジョン先行型というか、それぞれが自分のできることをできるようにやって、企画を実現するという体験がこれまでに何度もあって、この原動力に新たな組織の息吹を感じたこともありました。

– なるほど。

ただ残念なことかもしれないのですが、組織は振り返りの機能がうまく働かないと、
形式化が進み、ルーティンな部分が多くなると思います。
そういう理由から、よみきかせナイトは、スタートからもうすぐ5年が経ちますが、東京と横浜については休止しようと思っているんです。
(他の地域は、継続する予定)

– 休止する理由というのは?

ルーティン化してしまっているから。
以前ほどは、面白くないし楽しくない(笑)というのが一番の理由。

この感覚は、参加者にも微妙に影響を与えていて、もし満足度調査をしたら、以前は10点満点をつける人が結構いたように思うが、今は7、8点くらいな気がする。
つまり、まあ楽しかったなというレベルに終わっていて、なんだこれは!この喜び、ワクワクはなんだ!という驚きのレベルにまでは至っていない。

– 驚きとは絶対値ではなく相対値ですからねー…

この絵本プロジェクトは、イベントを開催することで新しい価値を生み出してきたけれど、今は開催すること自体が目的化しそうになる。
手段と目的をはき違えそうになる。
だから、ここらで一旦幕を降ろそうと思いました。
そして、いつまでも同じことを継続するのでなく、一旦手放すことで、空いたスペースに新しい何かが入ってくるに違いない、それにワクワクしたいと。

これが企業であり、収益性のある事業であれば、継続性を重視する必要もあったと思いますが、このプロジェクトの目指すものはそうではない。
僕にしかできないと言われることが多いというのもありますが、このプロジェクトをモデル化して、誰かに引き継いでもらうことにはそれほど興味は起きませんでした。

– 1人合同会社に近い、ですかね。中小企業の再生事業に関わっていた頃に似たような想いをしたことがあって…。事業というのは、「社員をクビにしてEC化してフランチャイズ化してV字回復すればいいじゃん!」という単純な話では終われないというか。

そうですよね。
組織が残ることが目的化しても、その構成メンバーは必ずしも幸せではない、自分らしく生きていないかもしれない。

– ご自身の人生に影響を与えた方はいらっしゃいますか?

座右の銘とか、誰かを師と仰いでとか、あんまり興味はないんですが、吉田松陰は好きですね。
自分も教育について長く関心を持ってきたので、松蔭が教育者として人に与えた影響力にはとても関心があります。

「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬともとどめおかまし大和魂」という句がありますが、鳥肌が立つような感覚を覚えます。
自分の信念を曲げてまで生きたくはない、そこに死があったとしても、正直でありたいという気持ちには驚愕します。

一方で、松蔭が、自分の死が、尊王攘夷の志士たちに与える影響をわかっていたとしたなら、彼は自分の身体をはって事を為す、大変なプロモーターでもあったと思っています。

そういう熱い気持ちと冷静な視点、心は熱く、頭は冷ややかにみたいなのに憧れます。
だから、松蔭は、他人がどう言おうと、自分の言動や行為にとても納得感を感じていたんじゃないでしょうか。

– 最近大事にしているのは「納得感」という言葉ですね。いろんな指標も意見もあるけど、本人がしっくりきたかがもっとも大事だと思うのです。

しかもしっくり感は「その時々」によって違ってくる。
自分の状況も変わりますからね。冷静な視点もやはり必要なのだと思います。

– 決めつけず、柔軟に、その時々の自分の心をきちんと知ることが大事そうですね。

これから

– ご趣味は?最近は絵も描いてらっしゃいますね。

一般的に趣味と言えば、僕の場合、絵本になるんでしょうが、あえて趣味とは言わず「ほぼ本業」と言っています。
稼いでいないので本業ではないのですが、熱量は同じかと。

だから、趣味はといえば「出張」と冗談で言うようにしています。一人っ子なので、ひとりの時間が好きなんですね(笑)

– 一人っ子は、性質なのか、一人でいる時間がすごい大事ですよね…

こういう一連の活動を会社の上司も理解してくれているのはとてもありがたいことです。
昼スナのことも知っていますしね。(笑)

– そういえば我々は、昼スナ(株式会社ヒキダシ主催の昼スナック)が出会いですが、どういったごきっかけで参加を?

僕は紫乃さんつながりでした。
ヒキダシ主催の「LIFE SHIFT」のイベントがあって、それに参加したのがきっかけ。
ちなみに週刊東洋経済の「LIFT SHIFT実践編」にも、ちょこっと出させてもらいました。

[ LIFE SHIFT ]

– そうだったのですね!次にやりたいことは?

本業は、きっちり評価いただけることをやって行きます。
プライベートは、「よみきかせナイト」を手放して空いた空間に自然に何かが入ってくるのを楽しみにしてるんだけど、既存にはないものが始まると思っています。

やりたいのは、やっぱり絵本に関する何か。
柔らかいのと硬いのと両方やりたい。

柔らかいのは、絵本占いとか、絵本婚活みたいな、思いっきり変化球なこと。
ドンハマ★ならやっても良いよねって思われることをやってみたい。

硬い方は、自分の場合、やっぱりソーシャルという概念を無視してできない気持ちもあるから、「社会」をはっきり意識した形でアクションしたい。

例えば、若年層の投票率についてもちょっと思うところがあってね。
キャリア教育の失敗ですよねとか人から言われて、ちょっと放っておけない気持ちもある。

– 政治については、ああはなりたくないっていう気持ちの表れな気もするので、難しいですねぇ。

そういう嫌世的な気分も分からないではないけれど、一方で、為政者の暴走があるとして、それに歯止めを掛けるためには、若い人が毛嫌いする前にまず政治について語るとか、そういう機会を作る必要はあると思っている。
だから例えば、《絵本で政治語り》。こういうのを、若い人たちを巻き込んでやりたい。

– ねこちゃんとうさぎさんみたいな感じで、民主主義とか社会主義を抽象的に表現したりすると面白そうです。

方法論はいろいろあると思うので、そこは試行錯誤があって良いと思う。
個人的には、それを探るプロセス自体にワクワクを感じます。
少人数で、数人くらいからでも全然いいかなと思っていて。

– 結構バズる気はするんですよね。今、哲学系の漫画が増えているでしょう。文章で理解しようという風潮が減ったのもあるし、そもそも語彙力が多い人がマウンティングするためにわざわざ相手が知らない言葉を選んでコミュニケーションしてくることに、みんな疲れたんじゃないかって(笑)

マウンティング(笑)

– 真に賢く人徳の高い方なら、目の前の人がわからない言葉をわざわざ選んで説明することはきっとしないであろうから。自分のところまで追いついてこいというのはなかなか孤独かつ傲慢だと思ったりしていて。一方でそれはコミュニケーションスキルや共感力が低いことの表れでもあるし、それがあるなら余計にマウンティング行為だと思っています(笑)。

なるほど。僕自身も注意しないといけないかもですね(笑)
どういう言葉や表現でコミュニケーションするかということは、人と人がどう立ち向かうかという現れだと思うし、根底にはその人の人間観が出てくると思う。

– そう思います。人生100年時代と言われますが、おすすめのライフキャリア設計はありますか?

ライフシフトでもそうだけど、今後は一個のモデルではない。
多様性を前提にしないとキャリア設計自体が立ち行かない。
既存の概念が壊れるだけだとみんな不安になるだけなので、自分が何かひとつサンプル的なものを示せるといいですよね。

今、僕が提示できるとすれば、起業するとかのキャリアモデルではない。
会社という組織に所属しながらでも、自分の固有領土を構築して、仕事と同じくらいの熱量を注げるプロジェクトを持つモデルかなと思います。

– そうですよね。ああ、今の社会通念上の「本業」って、ライスワークを指すんだなぁ…

本業とライフが一致する人もいれば、そうでない人もいる。
だからといって、本業はライスワークだと言いきってしまうのは、さみしい気がしています。

僕の場合、ありがたいことに本業の中で、自己肯定や自己成長の要素もあって。
だから、本業はライス以上の意味を持つのだけど、でも人生全体を俯瞰した時に、本業は必要条件ではあるけれど十分条件ではない。そういう部分を補完するのが絵本の部分だと思っている。

ワークライフバランスという言葉もあるけど、バランスを取ろうとして上手く取るのは結構難しいので、ワーク(本業)もライフ(絵本)も目いっぱいにやることで結果均衡が保てるという感じに思っています。
バランスでなくて、「ワークライフミックス」くらいが理想形かもしれないと結構本気で思っています。

人は、生まれて来た以上は、自分の人生ミッションは自ずとコンプリートしてしまうものだと思っていて、そういう意味では生きることに焦ったり、ダメ出しする必要はまったくないと思っています。一方完璧で、ホールパーソンな自分もあり得ないのだから、新しい宿題をもって、生まれ変わるぐらいでちょうど良いって思ってます。(笑)

– とっても共感。いい言葉ですね。ありがとうございました。

終えてみて

ドンハマ★さん

想像以上に長時間のインタビューになったけど楽しい時間でした。
Nocchiさんは聴き上手。なんだかいろいろ話してしまいました。
おそらくドンハマ★さんは、あの時、人生を振り返る旅に出ちゃったんだと思います。

Nocchi

昼スナでお会いしたドンハマ★さん。
絵本プロジェクトという初めて聞く活動に私は興味津々。
なぜ始めたのかを伺いたくて、今回、対談をさせていただきました。
これからも色々なことへチャレンジして、自分も周りも、変えていきたいですね。

Profile

濱﨑祐一
京都府宇治市出身。現在、千葉県印西市在住。
生命保険会社の広報CSR業務に携わる傍らで、大人に絵本の楽しさを伝える「おとなの絵本プロジェクト」というコミュニティを主宰。
実績、イベント回数約300回。参加者数約5000人。
モットーは、「No WAKUWAKU,No LIFE」わくわくがなけりゃ、人生じゃない。
自分と人の笑顔、ワクワクをいっぱい作っていきたいと思っている。

対談相手・ライター

Nocchi
N.FIELD代表、Polaris管理人。
自己肯定感最大の景色をあなたへ、を理念に個人・法人共に事業プロデュースを行なっている。

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