Vol.35 – 白勢 竜彦 / 全ての人を主催者に – Peatix Japanコミュマネの僕が願う世界

※内容は、2019年4月時点のものです。

イベントツールPeatix Japanでコミュニティ・マネージャーを務める白勢さん。
台湾留学を通じて多様性の世界を知った彼。
多くの人が関わりあうこと自体が平和を生むという価値観のもと、交流の”面”を広げようとしています。

人間とは未来の可能性に向かって自分を投げ入れていく存在である

いま


– 白勢さん、今やっていることを教えてください。

Peatixというイベント管理ツールのコミュティ・マネージャー兼アカウント・マネージャーをしております。
あとはボランティアで「夜空と交差する森の映画祭」(以下森の映画祭)というイベントのスタッフをしています。

[ イベント管理ツール – Peatix ] [ 夜空と交差する森の映画祭 ]

– Peatix、いつもお世話になっております!映画祭の方は発起人なのですか?

立ち上げではなく、2年目から関わっています。
通年で関わっている主宰メンバー4人のうちの1人ですね。

僕自身はお金は特にいただいていなくて、プロボノでやってます。
もともと、そのイベントにPeatixの営業で入っていて、面白いのでジョインすることにしました。

– 良いですね〜。コミュニティ・マネージャーのお仕事へは、どうやってたどり着いたのですか。

自分の師匠というか…ロールモデルのような人がいまして。
その人がPeatixを手伝っていて…僕も手伝い始めて、その流れで入社したんです。

– その時の肩書きは、コミュニティ・マネージャーだったのですか?

いや、入社当時はエヴァンジェリストという名前でしたね。
海外のチームともやるわけですが、アジアだとその当時はPeatixはまだ知名度がそこまでなくて。

エヴァンジェリストというと、元々の英語の意味である宣教師と受け取られるらしいんですよ。

そこで肩書を変えることにして、当時浸透し始めていた「コミュニティ・マネージャー」にすることにしたそうです。
僕自体は2014年にジョインしています。

-Peatixは、もともとは、海外生まれなのですか?

海外っぽいですよね。
もともとは日本なんですが、本社をアメリカに移してグローバルに展開できるプロダクトを作ろうということで、シンガポールや、マレーシアを中心に海外展開もしています。
開発やデザインはアメリカやアジアを中心にしてます。
社内環境としては英語と日本語が混ざっていて、そういうところも好きです。

– 白勢さんのお仕事内容としては。

大きく3つです。
コミュニティ・マネージャーとしてイベント主催者とのやり取りをします。イベントの管理や運営においてどうPeatixを使ってイベントを成功に導くか、という話をしています。
だいたい3割程度ですね。

5割くらいがアカウント・パートナーという名前での仕事です。
企業がPeatixを使うことが増えてきている中、広告メニューなどのオプションを提案して、イベントの成功を導くようにしています。

-法人会員の制度があるんですね!

いや、ないんですよ(笑)
個人も法人も同じ契約になります。
企業の方も個人の方も同じ利用規約に同意して申し込んでいただきます。
ただオプションの金額感的に企業利用がほとんどですね。

– なるほど、広報の方とかが使われるのですかね。

残りの2割はマーケティング。
イベント主催者のために、2013年からイベントサロンというイベントの企画・運営をしています。
先日はモデレーション、ファシリテーションをテーマにしました。

[ Peatix – イベントサロン ] [ ※開催済 3/19「場の編集」~流れを作り、新しい答えを生み出す方法~ ファシリテーター/モデレーター特集! [イベントサロン vol.15 ]

– 面白そう…フォローしました!実際にコミュニティ・マネージャーをやられてみていかがですか。

結構、属人的な仕事だとは思います。
話した瞬間に、その人がどういう人かをさっと判断できる人が向いていると思います。

あとは目立ちたがりではないというところも共通しているかと。
自分のためではなく、誰かが過ごしやすい環境を整えるのがコミュニティ・マネージャーなので。
演劇の舞台監督などは、近いと思います。

– この話は先日のPolaris Night #1 でも出てきましたね。コミュニティ・マネージャーという職業は今後どうなると思われますか。

未来の話だと、永田町GRIDの山口若葉さんあたりがかなり考えてると思うので次回のインタビューとかどうですか?(笑)
僕自身は飲食店のマスターと似ていると思っています。
優れたカフェやバーが自然にやっているもので、それがジョブになった。

– (山口さんも取材させていただきたい…)

場やコミュニティに愛着を生み、人をとどまらせることというのはどこにおいても必要なことだと思います。
あとは、場だけではなく、サービスにもコミュニティ・マネージャーは必要になると思っています。
一言で言うと、愛着を作る仕事、ですね。。

– WeWorkにはコミュニティ・リーダーというジョブがあり、コミュニティ・マネージャーを統括しているようなのですが、どう思われます?

へぇ、コミュニティ・リーダー。
面白いですね。それぞれ違う役割なのですね。

– 私は、コミュニティ・マネージャーは業務委託でも可能な場合があるような気もしており、コミュニケーション力に長けた方にとっては、実は副業としても始めやすい仕事なのではと思う時もあります。

コミュニティがきちんと回るようになってくれば、コミュニティ・ビルディングの仕事は終わったと言えるので、その意味では最終的にいなくなってもいいと僕も思います。
だから、業務委託でもいいかもしれませんね。

とはいえ、立ち上げ期はしっかり入れる必要があると思います。
そういった立ち上げ期をサポートというと始まり商店街の柴田大輔さんとかは、コミュニティビルダーという肩書きで色々なことをしていますよね。

[ はじまり商店街 ]

– そうなのですね!コミュニティ・ビルディングとコミュニティ・マネージングが性質的には少し別のものだとすると、今いる方たちの多くはビルダーな気はします。

そうなのかもしれませんね。
とはいえ、実は僕自身は同じことをつづけることが苦手です。
どこかにいって、そこに少し滞在して、ちょっとイベント作って…っていうのをやれたらなとは思います。笑それをなんていう肩書きで呼ぶかはわからないですけどね。

コミュニティ・ビルダーという仕事は、コミュニティ・リーダーとコミュニティ・マネジャーをそこに作ることなのかもしれませんね。

– なるほど。Startup Weekendの地方コミュニティを立ち上げる時に似ているなぁ…

これまで

– 子供時代、学生時代。

幼稚園はもうあまり記憶ないです(笑)
小学生の頃は落ち着きはなかったかな。
成績は優秀でした。

中学は受験して入っています。
放課後ゲームセンターに通って高校生や大学生と仲良くなったりして、ちょっと悪いこと覚えたり(笑)

中学の周りのみんなは、部活などに熱中してある意味閉じた世界を見ていた。
だからそこはちがったのかもしれませんね。

– 学校以外のコミュニティをもつのが早かったんですね。大事なことかもしれませんね。

あ、言われてみれば、幼稚園からボーイスカウトはやっていましたね。
子供を育てる時、早い段階で複数コミュニティを経験させておくのは、いいかもしれませんね。

– 確かに。あ、習い事はされていました?

水泳とサッカーをしていましたね。
うまさは普通でしたかね、好きでしたけど。

どれくらい上手いか…?
サッカーって、リーダーだけ最初に決めてじゃんけんで順々にメンバーをとったりするじゃないですか、そこで3番目に選ばれるようなやつでした(笑)

– サッカーってそうなのですね…中学でもサッカーを?

いや、中学は部活すぐやめちゃって、ほぼ帰宅部でした。

-高校はいかがでした?

文化祭実行委員をやっていました。
2年次に部署のリーダーをやらないかって言われたんですが、僕は断ったんです。
ただそこで友人を連れてきて、彼をリーダーにし、僕はサブリーダーになりましたね。

象徴的な出来事だなって今でも思います。
表に出るのではなく、でもモブでもない。
No.2が良いんでしょうね。

-わかります。私は例えるなら、諸葛孔明か(新撰組の)土方ポジションが好きだなと昔から自覚があって…志向としては維新志士かもしれませんが(苦笑)

ああ、軍師なんですね。
僕は軍師じゃないですね、夏侯惇かな(笑)?
リーダーに振り回されてるくらいのほうが好きですね。

自分でも思うのですが、僕はビジョナリーじゃないんです。
ビジョンを叶えていくほうが向いていると、自覚しています。
ある意味ですごく現実主義なのかもしれないです。
ああ、土方ポジションは僕もよくやりますね…考えてみれば。

-朗らかな近藤さんの後ろに立っている、やたら怖い番犬ですね…(笑)大学はいかがでしたか。

和敬塾という学生寮に入りました。

[ 和敬塾 ]

地域、大学を問わず誰でも入れる400人規模の男子寮です。
ただ、特殊なルールがたくさんありました。
1年生で4月の入寮の時期に、全員の先輩の部屋に挨拶にいくとか、
その時期は大声で挨拶しろとか。体育祭で騎馬戦やれだとか。

まぁ、なじみました(笑)
ただ、そういうところなので体育会系のやつが脚光を浴びるんですね、スポーツが強いやつは重宝されますから。
その中でも僕自身は文化系の居場所を作ったかなと思います。

一番の大きい転換期は大学3年生で台湾に留学したことですね。

– なぜ台湾だったのですか?

JALが行なっている日本台湾学生交流事業というものに一員として選ばれたのがきっかけです。
元々は別の友人がいく予定だったのですが、その友人が事故で亡くなったことにより行けなくなりました。
その代わりに、ということで選ばれたんです。

その後、元々海外に長期滞在したいと思っていたところもあったし、従兄弟の友人が台湾に駐在することになっていたので最初の宿として使っていいよと言われたこともあり、台湾に縁があるなと感じて留学を決めました。
9か月滞在しました。

– 色々と重なったのですね。

全く中国語が喋れない状態で行ったので、最初は大変でした。
特に向こうにいると、僕はマイノリティなわけです。
孤独で理解されなくても、けれど、それは個性を出しやすいのだという気付きになりました。

日本にいたら僕は、声がでかいとか、距離感近いとかすぐ言われていたんです(笑)
でも、台湾だと僕の観測できる範囲だと結構そういう人多かったんですよ。
ああ、なんだ、違う違うと言われてきたことも、ほんの少し目線を変えたら、別の場所に行けば、それが普通になることだってあるのだと。
大きな気づきでした。

– 吉田さんの”カルチャーフィット”のお話に似てるなぁ…

[ Vol.33 – 吉田めぐみ / ”自分”を探して旅に出た私が、co-ba shibuyaのコミュニティマネージャーになるまで ]

帰国後、今度は自分が先輩になり一年生の挨拶を和敬塾で受けるわけですが、みんなに留学を勧めました。
マイノリティである経験をしておいで、と。
“個性”で良い、個体として、受け入れられておいで、と。

-NYに行って変わったみんなも、きっと同じだったんだろうなぁ。

[ Vol.2 – 日置 愛 / 1週間ルームシェアweeeksで”住”の当たり前を再定義 ] [ Vol.31 – 藤井 伸雄 / 日本とアジアのQOLを上げるため、監査法人を辞めてMBAに行き、”IQOLA”を創業した話 ]

– 就活はどうされました?

最初はインターネット広告のDACへ入社しました。

[ インターネット広告 – DAC ]

勤めてる時に東北へのボランティアへ行ったときにであった方がPeatixへ導いてくれたロールモデルの方です。
その縁でバーニング・ジャパンに行って仲良くなった人がPeatixの人で今に至るっていうことですね。

わかりますか?バーニング・ジャパンって。

-えっ…あの炎天下の中、全裸で歩くやつですか…?

ああ、アメリカのネバダ州で毎年開催されているBurning Manはそうですね。
日本のバーニング・ジャパンは、同じビジョンで開催するローカルイベントで、僕は本家には参加したことはないです。
日本はつかまっちゃうので、きちんと服を着てますよ(笑)

[ バーニングジャパン ]

価値観


– 今、情熱を注いでいること。

実は一番は森の映画祭ですね笑。
森の映画祭は、毎年新しい人が入ってくるので、教育的な側面があることが楽しくて仕方がないです。
通年でやっている4人のメンバーが仲良しだから、単純に楽しいのもありますけれど。

毎年いろんな場所でやっているので、毎年新しいチャレンジをするところも一つ楽しいところですね。
今年は沼津でやりますよ。

– あら…ラブライブの聖地…どういう映画を流すのですか。

今決まっているのは「きみに読む物語」という長編映画のみですね。
18時から翌朝5時まで、オールナイトで長編映画から短編映画まで色々流しますよ。
時間が合えばぜひ参加してみてください。

[ きみに読む物語 ]

– はい、楽しそうです。ご趣味は?

茶道と漫画が趣味です。
お茶は祖母がやっていたのがきっかけです。
和敬塾の中で、柔道教室などがあったのですが、そこに、茶道もあったのが始めたきっかけですね。

漫画は兄が好きで家に結構あったところからです。
毎週雑誌5冊くらいを読んでいますね。

– 結構読んでますねぇ。おすすめのサービスは。

あまりWEBサービスを追ってたりはしないのですが、サブスクでお花が送られてくるやつが好きですね。
Android版があればやってたなと。

[ Bloomee Life ]

– たまにFacebookのタイムラインに流れてくるやつですね…。お花があると心が洗われる感じがしますよね。

これから

-今年やりたいこと。

森の映画祭の中の企画をもう少しやりたいな、まだやれることがあるなと感じています。
仕事のキャリアとしては…
大きくない会社なので色々やっていますが、個人的にはPeatixとして社会に対してやれることがまだあると思うのでそこを頑張りたいなと思っています。

具体的にいうとイベントボランティアの可視化をやりたいんです。
これは大きな話ですが、全人類が何かの主催者になればいいと思ってる時期もありました。
そうでなくても何かを手伝う人を増やしたいと今でも思っています。

– その理由は…?

何かを作り出すということをすると人は成熟し、やさしくなると思っています。
例えば、ある人種やある年代の人を一概にだめだという人がいるでしょう。
それは、その相手を知らないからと感じています。

自分の友達や、家族や、家族の大事な人にそういう人がいたら?
きっとそんなセリフ出てこないですよね。
むしろ馬鹿にするそいつに怒りを覚えると思うんです。

– そうですね。悪く言う人がいたら、自分の身を呈してでも、絶対にその人を守りたい。

そうでしょう。
だったら人の交流面積を増やしてあげれば世界は平和になるんじゃないかと考えてます。
イベントを介在して人と知り合うこと。
コミュニティの難しさを知ること。
成熟する上でとても大事なことだと思っていますよ。

-これからの働き方。

複数の仕事を持つことが普通になっていくと思います。
副業禁止の解禁もそうですし、成果主義という言葉もそれに拍車をかけるでしょうね。
物理的にオフィスにいるから仕事をしているという時代ではないですね。

– 本当にそうですよね。これからの日本。

人口は減っていくことに対しそこまでネガティブな気持ちは抱いていないんです。
RPAとかだってあるわけだし、どうにかする手段はもうある。
それよりも、そういった新しい環境から取り残された人たちをどうするかですね。

[ 今さら聞けないRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)の基本 ]

– なるほど。白勢さんは、積み上げ型と逆算型のどちらだと自覚されていますか?

友人を亡くして改めて実感したのですが、死は隣にあります。
だから、悔いのないように目標を決めて邁進するといったことは考えていません。

それよりもいつ死んでもいいように生きることのほうが大事だなと今は思っています。

キャリアという言葉は、ラテン語で轍を表すと言われています。
それはプロアクティブに設計するものではなく、軌跡に意味を作るものなのではないかと思う。
だから、未来をひどく悲観して、いつかに向かわなくても良いんだよ。
今をしっかり生きることも時には大事にしても良いと思います。

– 素敵な示唆…ありがとうございました。Polaris Night #2でのご登壇も楽しみにしています!

白勢さんがご登壇されるイベントはこちら!

コミュニティ・マネージングにおけるお悩みを、コミュニティ・マネージャーにお聞きします!
場所はまさしくPeatix Japanのオフィス。
ぜひお越しくださいませ。

[ Polaris Night #2 ]

終えてみて

白勢さん

しゃべるのが好きだから、こうやって聞いてもらえるのは楽しかったです。
世の中にいるいろんな人を拾い上げることをしていきたいですね。

Nocchi

一回テレカンを挟ませていただいたものの、初対面でこんなに会話しやすいのは、さすがコミュマネと言うか、その洞察力だなと感じました。
今に主軸をおいて…しっかり生きていきたいですね。

Profile

白勢 竜彦 / Tatsuhiko Shirose
Peatix Japan コミュニティ・マネージャー。

インターネット広告会社でメディア収益化プラットフォームのコンサルタントを行う。
新規メディアの開拓から既存メディアの収益化拡大まで勤めた後、Orinoco Peatix (現Peatix Japan)へとジョイン。
延べ1万件以上のイベント事例を見てき、自身でも多くのイベントに足を運んでいる。
また、各種イベントへのコンサルティングやアドバイス等も行い、現在も数人のワークショップから1万人規模の興業系イベントまで様々なイベントをピーティックス内でサポートしている。
自身も数千人規模のイベントの主催チームの一員。